原点に立ち戻って取り組む仕事

出版のデジタル化の潮流を捉え、電子書籍の企画を制作販売し、プリント・オン・デマンドの出版スキームを整えてきました。

どうやら先端、末端に到達した感じです。

行き着くところまで行ったので、枯れた技術の水平思考で、自社技術の洗い直しで潜在需要層を捉え、サービスと商品の2つの視点からアプローチを考えています。

書店は減りネットによる情報発信が当たり前になって、動画で知識を習得する世代も増えている状況ですが、少子高齢化の現実は、紙の本の社会的需要を高めていると考えています。

あと数年するとデジタルとオフラインの共存は確立すると思いますが、それまではオンラインからオフラインに軸足を戻した仕事に取り組む考えです。

また、ここ数年のデジタルコンテンツ企画で、改めてコンテンツファーストを痛感していますが、忘れかけていた「本は人」を思い出し、深く対面した仕事も戻して増やそうと考えています。

ということで、本日時点での結論。

すっかり趣味になっていたSNS。仕事に取り組むためにも見直します。

デジタルとオフライン

金風舎の新刊として、BtoBマーケティング本を準備中です。

その打ち合わせ中に著者の方から出た言葉で、一般的には「デジタルとアナログ」、「オンラインとオフライン」として語られるところですが、これを「共存」といった観点で理解すると成立するなと腹落ちしました。

言い換えると「平成」と「昭和」のミックス。それぞれのいいとこ取りという考え方ですね(余計にわからないか)。

とにかく平成は昭和との対比で、アナログに対するデジタル、そしてネットが強調されすぎたと感じています。一昨年辺りからそれに違和感を(そして飽きも)感じていて、これは紙の単行本から電子書籍を作るようになったからこそのポジショントークとも言えますが、令和初期はこれらが共存していくところからスタートと考えています。

「どちらか」ではなく「どちらも」。そして実現するためのスキームはコンテンツファースト。

令和デザイン

平成もまだ2週間ありますから、それがどんなものなのかはわからないわけですが、変貌する最近の都心の様子をみていて兆しを感じるところがあります。

平成4年に沖縄から直行して上京しましたが、失われた20年そのままに、つい最近まで街の風景も代わり映えなく、3.11直後は寂れた感じもあって残念に感じていたのですが、ここに来て街に突如として現れる新しい建物をみていて楽しみになってきました。

この同じ期間を創業と子育てとの両輪で遮二無二やってきていたので実感が薄いのですが、バブルの残滓と反動からの息詰まる閉塞感との両方を実感していま思うのは、なんだかんだといいながらも、着実に豊かに安全になっているということでしょうか。

先日亡くなられた堺屋太一さんが、これからは楽しい日本がキーワードと仰っていてなるほどと思っているのですが、ただしそれはお祭り騒ぎのことではないんだろうと感じています。

当たり前だと思っていたものが急速に色褪せて見えていて、時代の空気みたいなものはガラリと変わるものなのだなと感じています。心機一転、ひと目見て、新しくていいなとわかるようなものを作っていきたいなと考えています。

新年度にあたって

8月期首の当社、業界的にも「年度末進行」は過去の話となり、しかも今月で平成も終わりのいま、あえてこのタイトルで書いておこうと思います。たぶん最初で最後。

新元号「令和」が発表されました。ネットで緊張しながら見守ってましたが、一瞬、ヘイワ?と聞こえて、え?と思いました。

「平成」のときは朝からビデオを撮ってました。テープはどこかに残っていると思いますがカビだらけだろうな。そもそもデッキ(という響きも昭和だ)もどこいったやら。

新しい感じの響きがあるなと思いましたが、国書からとったと知り、いろいろよく考えてあるなと納得いくとともに、新しい時代がくる感覚を持ちました。

ということで、昨年末から、社内体制変換や子供の受験で公私共に年末年始返上の働き詰めですが、残り一月、古いものはすべて平成に置き残して、令和元年から取り組み刷新していきます。

やることは3つに絞ります。

1.書籍のデザインサービス「ISSHIKI」の経営(リニューアル作業中)
2.読まれる本をつくる出版社「金風舎」の企画営業(面白い本の出版と情報発信企画)
3.ローカルメディアコミュニケーションズLLCの企画営業(出版・情報発信)

今年度は、畑耕して種まきして芽がでるまで。

西口でもらった号外、タバコ臭い喫茶店で見る新聞紙面の「令和」。昭和な近未来SF感(ということは終わってるなと)。

楽しい仕事をする

2度ほどミリオンセラーで一世風靡した仕事に携わりました。1つは編集で1つは装丁で。

特に編集案件は編集印税を頂く契約にしていたので儲かりました。そしていずれも「楽しかった」という思い出。

それからいろいろあって感じることは、やってみたいことを、やりたいようにできているかどうか。結果うまくいってもいかなくても、喜びや苦労をともにできる仲間がいること、それ自体が有り難く、楽しいことだということですね。

事業で儲けを作ることは大切ですが、それは単に金があればがいいという話ではありません。超低金利のいま、資金調達はコツをつかみ真っ当にやっていれば簡単な仕事で、お金を集めること自体にほぼ意味がないと思います。

やりたい仕事をやりたいようにやって、人に感謝され対価を頂き儲けを作ること。

豊かな未来を見据えいま必死に働くという昭和の働き方で、安全で豊かな時代が実現していたのに、さらにそこから豊かさと安定を目指すことで、新たな苦しみを生み出しているように思います。

楽しい仕事を作って、楽しみたいと思います。

良いサービスを「楽しく」作ること

ただでさえ難しい2つのことを、同時にやろうとしていて大丈夫なのか? と書いている本人も一抹の不安を覚えますが、そうする必要があると強く感じています。

良いサービスとは、当社の書籍デザイン制作事業のISSHIKIに、企画・情報発信支援サービスを追加した「出版サービス」を買って頂けるようにするということです。

すでにいくつかのテストケースで成果を上げているので、あとはこうすれば良いという絵図は描けていて、はやく手を付けたいと思いつつも、いざ目前にすると膨大な課題を前にして怯んでもいて、3歩進んで2歩下がる、といった岩盤に久々にぶち当たっている感覚がありました。

強固な岩盤を打ち砕いて前進させることは、ここ数年の「動かない!」ことを動かす経験から面白みを感じるところで、また打ち砕けたときの快感は得難いものがあり、そういったことで気力は損なわれていないのですが、もう少し効率よく進められないものかと考えていて、大事なことが不足していることに気づきました。

やりがいの塊のような仕事、楽しまない手はありません。

この2年ぐらい、退潮著しい業界の動きに加え、働き方改革で、前に進めば進むほど苦しい思いを感じていましたが、落ち着いて考えてみれば、先が見えていても未来のない道を進もうとしていれば、それは楽しくなるはずがありません。

先の道のりがすべて見えていなくても、先々楽しいと思える方向に進む必要がありますね。

この「楽しくやる」という取り組み方、密かにこの先2020年代を考えたときの、重要なキーワードだろうと考えています。

楽しいことをするには、安全を確認した上で、ある程度の危険に身を置く必要があります。危険というとすぐに生命の危険と結びつくのは戦後日本の特徴なんだろうなと感じていますが、ビジネスとして楽しいことをするために必要な危険は経済的な危険です。

安全で豊かということを追求していばかりでは、面白みにかけるというのも、この数年でよくよくわかりました。しっかりと危険は見据えた上で、楽しんでいける手法を取りたいと思います。

そういえば昔はその危険を楽しむことしかやっていなかったな。今更ながら思いますが、あれが若さというやつですね。

「不調も三年続けば実力」の半年

「不調も三年続けば実力」の3年目 | katsukinoboru.jp

現実に生じていることは、あの当時とは真逆で、経営的に危機的な状況は全くありませんが、再調整を図る「不調」と認識して半年が経過しました。

「『不調』というのは、正しい取り組みをしていて結果が出るまでのタイムラグ」

8年前は、実力不足ではなく不調と信じたい一心で引用しましたが、今回は羽生さんの言葉が深い部分で染み渡ります。また、前回と違って調整期間に突入すると決め、抜けた先の楽しみが明確に見えていての取り組みである点が違います。

今回調整しているのは、私自身の働き方改革です。

RAIZAPで体調を整え、「一流化」計画で事業構造を見直し事業を整え、子育てが一段落したところで、その総仕上げとして、次のステージに上がる転換、調整を図っています。

本日は経営会議でしたが、経営報告をスムーズにまとめ書ききれたので、折返した感がありました。

ということで長くてもあと半年です。


真の震災復興は震災がなかったことにしている

崖っぷちでもがんばっぺ ~おかみと社長の奮闘記~

3.11直後に、いろいろな失敗を認めて会社の出直しを図り、一気に債務超過に陥りました。全部このブログの過去記事にあります。

当初は私も「あれから何日」といったように数えていましたが、そういうのを止めると決めてからですね。ほんとうに業績が回復したのは。急速に。

そのとき同時に、「戦後(震災)何年」といったような報道が急速に色あせてみえて、自分の中で「戦後」時代(昭和)が完全に終わったなと思いました。

復興を目指すなら、現実は厳しく見つめながらも、楽しい未来を作ってます、という発信と実行あるのみと思います。

おかみの宿はいけると思いました。私も頑張ります。

平成30年秋季皇居乾通り一般公開

毎年気づくと終わっている一般公開。ようやく出かけることができました。

皇居乾通り一般公開について – 宮内庁

日頃見られない皇居内を見られるということで、実のところ紅葉は二の次だったのですが想像以上に見応えがありました。

クリックすると大きな画像で見られます。新しいiPhoneで撮ったのですが、これをipadで見てる分にはすごい写真に見えるのですが、ブログに貼ると今ひとつですね。

坂下門
宮殿
宮内庁
富士見櫓
山下通り
富士見多聞
局門
門長屋
道灌濠
乾濠
蓮池濠
東御苑に抜ける道
東京駅
日比谷ミッドタウン

4年越しで能登半島を制覇した

家内の実家は石川県の小松市ですが、彼女も能登半島に行ったことがないということで、当然私も行ったことがなく、数年前に家内が帰省する機会に合わせ出かけました。ところが能登半島は思った以上に奥深く、輪島についたところで時間切れ。和倉温泉のあの加賀屋の隣の宿にとまって帰ってきました。

あれから4年。今年は吉方位が能登半島という助言を得て、最初は時間も無いことだし一人で気多大社まで出かけようと思っていましたが、その話をすると珠洲まで行きたい上半分も回りたいというので、下の子達を長女に託し一緒に出かけることにしました。

当初は週末一泊、神社にいって温泉つかって骨休めと思ってましたが、自宅からクルマでひたすら能登半島の最先端を目指し、この際だから行ってみたいという彼女の要望にひたすら応える骨折りの旅となりました。

ただ、主婦感覚での宿や食事の選択は、結果的にコストパフォーマンスもよかったので、2日で走行距離1200kmの荒行で疲労困憊しましたが、気持ちとしてはかなりスッキリしました。

日頃あちこち気軽に出かけている身なので、自分一人だとまた今度来ればいいやと行くのを見送ることが多いのですが、誰かと一緒に、特にこの際いろいろと満喫したいという思っている人と一緒だと、巡り合うものも違ってくるように思います。

宿についたら隣の街でお祭りをやっているというので、行ってみると無形民俗文化財となっている神事でした。「あばれ祭り」というそうですが、驚いたのは若者が沢山で、ここの祭りは後継者不足とは無縁だなということ。こういうことも一人で出かけていたらわからない気づかないままでしたね。


あばれ祭 - 日本遺産「灯り舞う半島 能登 〜熱狂のキリコ祭り〜」能登のキリコ祭り

伊豆や紀伊などもそうですが、半島には独特の雰囲気があると思います。日本列島半島制覇の野望がふつふつと湧いてきましたが、これからは一人で出かけない旅を考えようと思っています。

宿の目の前にある見附島(軍艦島)。

改装されたばかりできれいだし食事も地元の新鮮な食材で、国民宿舎だしなと舐めてかかってました。主婦感覚大事ですね。

聖域の岬。下はあの”ランプの宿”。ここは一度泊まってみたいですね。

日本3大パワースポットの青の洞窟。ブラタモリ風に岩石触ってみましたが、うんちくは何も出てこず。タモリさんはすごいなと。

レビュー見るとボッタクリだの散々ですが、こういった場所を維持して観光客を捌くのだからそういうものだろうと思います。先程の展望台含めて1500円。高いか安いか。

ここが能登半島の最先端。歴史ある灯台。最寄りの道の駅から小高い山を10分ほど登ります。

同時に日本の中心。能登はパワースポット目白押し。

帰りの食事は適当にと思っていたら、さざえ祭りをやっているということで目的のお店まで寄り道。東京からクルマで来たんですかと驚かれましたが、これは寄り道したかいがありました。1350円。

無事到着。2日で1283km。ひたすら走っていたので燃費もまずまずで、ETCも週末の割引だったので今回は旅費がほとんどかかりませんでした。