今日は朝から炉開きに出席しました。

開炉は茶人の正月です。茶道は元々中国から入ってきたときには風炉で行うものだったところを、400年前の利休の時代に炉(囲炉裏)を使ったものを主流に変わりました。なのでこのときのお道具(焼物)は「三部(さんべ)」といって、織部、伊部(いんべ)、ふくべの和物を取りそろえます。

炉を開くと同時に5月に摘んでおいた新茶を茶壺から取り出すセレモニーがあります。茶壺の口切りと拝見をして、炭点前、そして菓子として粟ぜんざい、栗、柿の三種がでてきます。粟なんて普段食べることはありませんが餅のような感じになっていてぜんざいの甘さとほどよくマッチしていて美味しいです。主菓子の原型です。普段お菓子は黒文字で食べるのですが、それだけではぜんざいは食べられないので杉箸が一本添えられます。

そして先生が濃茶を点てるのですが、この茶壺と先生のお点前を拝見できるのは年に1度この炉開きのときだけです。

茶壺といえば、ずいずいずっころばしの歌に「茶壺に追われてどっぴんしゃん、抜けたらどんどこしょ」とありますが、あれは江戸時代の茶壺道中(京から幕府に献上される茶壺が通る道中)のことを歌ったもので、江戸初期の茶壺道中は大名行列並の厳重さで「茶壺がきたらどっぴんしゃんと扉を閉じなさい、通り抜けたらドンドコショと騒ぎなさい」と子供に教える内容です。それぐらい当時は政治力があったわけですね。

以上、習ったことを忘れないようにとメモ代わりに書いていますが(まだまだ一杯ありますが)、唯一お伝えできないのは香りですね。炭点前で焚かれる香と、濃茶を練ったときの香りはどうやってもお伝えできません。香が焚かれ濃茶が練られているころが一番静まりかえっている状態ですが、このときばかりはなんとなく駆けだしの弟子でも和敬清寂の意味がわかるような気がします。

ところで最近は裏千家の組織を垣間見る機会が多少あるのですが、そこでは日本文化の奥深さを知るというよりは、戦国時代の茶人が数百年の時を経て今なお影響力をもっていることにまざまざと感じさせられます。豊臣家は滅び去ってしまったわけですが、切腹させられた千家は圧倒的な存在感をもって未だに隆盛です。

もちろんその裏千家もずっと安泰だったわけでなく、明治に存亡の危機を迎えながら方針の大転換を計っていまに至っています。だからいま女性だらけになっているのですが、それも結局、時代を先取りしていたと言える訳なので、ますますこの組織が興味深くなっています。

元来社交を得意としていないのに、女性ばかりのところで本当のところ気の休まるどころの話ではないのですが、なぜ辞めずに続けているのかといえば、女性を活かす組織を作ることがこの先の企業経営、とくに当社のような形態の会社では必須だと考えているためです。

余談ですが、最近この裏千家の青年部に行ったり、仕事でご一緒する同年配のできる女性をみていて、将来この世代から国を救うような女性宰相が出てくるんじゃないかなぁと思っています。

ついでに文化的素養や所作などが身につけば一石二鳥とは思っていますが、それよりは経営者として茶道具を買い集められるぐらいの資産家になることを目指すべきだろうと考えてます。それぐらい業績がよく、儲かるようであれば社員も自ずと裕福になるだろうと思いますので。

ちなみに実業家茶人としては小林一三に注目してます。辺境地を都会に転換させた構想力と実行力。電子書籍の屯田兵はこのところ学ぶところ大です。

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