この2ヶ月のブログを読んでもらっている方々には、当然のことですが「忙しそうですね」とか「大変ですね」と心配されてしまいます。

確かに寸暇を惜しむ状況ですが、事務所移転や退職者の引き継ぎなどの混乱は、今週の頭にほぼ片付き、今は仕掛かりの案件や長らく検討を続けていた企画の件、それから新しい依頼の件などなど、未来の話で多忙となっています。

ちょっと前までは、忙しいことは、心を亡くすということで、全くの受け売りですけど、良くない意味で捉えてましたが、それは軽々に愚痴として「忙しい」と口にすることが間違いなだけであって、今のこの時期は、あえて忙しい、つまり繁忙を極めた状態の方が正しいと考えています。

再びの参与の言葉です。

「昭和20年代、30年代の経済は、100の力を出していても、70〜80の評価であり、昭和40年代50年代は、100の力を出して、100の評価。平成に入ると日本経済は優秀で、100の力に対して、110〜120の評価であり、成果であったように思います。しかし、3.11以降、日本は成熟社会から衰退社会に入る転換期が訪れたと思います。(中略) 一人当たりの生産性の低い企業や人、あるいは過大な借入金で生活又は企業活動の基盤を作っている人や企業は、貧者になる可能性が大きい社会かなと思います。」

数年前から儲からないなぁと思っていたのは、業態転換をやっているからだと考えていました。ただ、去年から不足する売上を確保しようと稼ぎに動くと、手応えとして、これじゃ割に合わないなとも感じていたのですが、この話を聞いてなるほどなと思いました。

確かに、仕事の内容が10年前とほぼ変わらないままでは、社会が急激に転換している以上、新たな付加価値がそこにはついていないわけで、結果的に人件費が嵩むだけジリ貧になるのは当然の帰結です。

だからといって、単純に新しいことをやればいいわけでもなく、前回のエントリーでも書いたとおり、今回の失敗の反省点は、生産性の向上を図る弛まぬ努力を怠ったことと、甘い計画に基づく新規業態への挑戦、その2点に尽きるわけです。

その反省に立ち、この先80の評価にしかならないことを前提と理解した上で、あえて100以上の改善努力をすると決意してやっていくことにしました。

取り組む順番は決まっています。まずはなによりも、現実的な収益改善です。そのためには収益が悪く、先々見込めない部分はどんどんと切り捨てて、一方で多少やり過ぎと思うほどガムシャラに仕事を作っていかねばなりません。4、5月とそのどちらも徹底的に取り組んだ結果ですが、今月から急速に業績改善を果たしました。

赤字体質とはキッパリとおさらばです。

ただし、ここで調子に乗って跳躍すると縮んでいた時期が長かったので、必ず筋を痛めることになります。気持ちは超前向きでも一気にはいかず、8月いっぱいぐらいまでは残った仕事の片付けと準備期間として活動をし、9月より新たに攻めるフェーズに戻そうと考えています。

この2ヶ月を振り返ってみて、ようやく社長業のなんたるかが、ほんの少しだけ分かった気がします。売上収益の実現、新商品の開発、新事業への挑戦、贈客の達成、新業態の成功、これらを時系列で業績向上させていく体制を作っていくこと、段取りを全社員に周知徹底して実行させ結果を出し、希望の明かりを自ら灯していくことですね。

この先、間違いなく日本経済は凋落の一途なわけですが、事務所を移転してわずか半月、非常に前向きな繁忙な状態を迎えており、この調子で繁盛するように段取りをつけられたので、私自身はかなり自信を回復しました。

まもなく8期も終わります。9期は再起の第一段階として迎えられそうです。