可能な限り感傷的に書くことは避けたいと思いますが、今年は3月11日に続いて、今日のこの日が刻み込まれることになると思います。

今回の事務所縮小移転を契機に、従来の出版事業部を私と萩原の二人に縮小し、ウェブメディアを中心とした立体的なメディアプランニングができる企画デザイン会社へ業態転換を図るべく、舵を切ることにしました。

今や年に1,2回あるかないかなのですが、昨日ははからずもその萩原と二人で版元に営業に出かけました。創業直後、紹介していただいた版元を二人であちこち回ったころに逆戻りです。

しかし、それから丸8年。同じく昨日のこと、徳永くんが読んで参考図書にしていたというWebディレクター本を、昔、萩原と組んで編集・デザインしていたことを、言われるまで忘れるほどに制作実績は積み上がっていることにも気付き、そういう意味では振り出しに戻ったわけではなく、立っている場所は同じでも随分と高いところまでやってきているなと思い直しました。

もう何度も書いてますが、今回のいわゆる3.11ショックで、変革をしなければ長期的な危機に巻き込まれるという思いから早急な決断をしたわけですが、もう一方で自分が本当にやりたいことはなんだったのかということを直視する機会にもなりました。

創業当時に使っていた名刺のロゴには「電紙」と刷り込んでいました。

今でも電子書籍やウェブメディアにこだわり続けて挑戦し続けているのも、前職を辞めるときに「ネットを使った少部数出版を実現する」という目標があったためです。

それを実現するため、その間の食い扶持を稼ぐために編プロ業態を取るということでやってきました。しかし、当初の予想を超えてその業績を上げたため、いつしかそれを維持することが本業となり、そしてそれに追われるようになり、私自身が本当に発展させるべきものを見失っていることに気づきました。

これは受託開発をしていたら新規業態開発ができないというようなことを言っているわけではありません。今でも基本はそこだと考えています。純粋に稼げなくなっている事業を抱えたままに新しいことをやっている余裕はないということであり、業績が芳しくない事業をこのままの規模で継続していく余力はもちろんのこと、その気持ちもなくなっていることに気がつきました。

萩原と二人で作れる売上に見合った規模に縮小し、改めて創業時の目標に挑戦することにしました。昨日は、SEIHAの失敗要因について分析をしましたが、同じようにここ数年の事業の失敗分析もそのうちエントリーアップしようと思います。2つあります。

そして、本日、残念ながら離職することになってしまう社員の最終出社日でした。残念です。との言葉には、本当に力及ばずで合わせる顔もないところです。これまでも社員が辞めて去っていくことはありましたが、このような形で一緒に仕事ができなくなるとは、これは身を切られる思いとしかいいようがありません。

いまみんなの最後の日報を読んでいて、業態転換を果たして新たに紙の分野での仕事を増やせるときには、また一緒に仕事ができるようにしようと思いました。また、残ったものとして、そうなるべく発展させる責任があると思っています。

この一月半、ブログには心情と経緯とを綴ってきました。私の想像以上に読んでくださっている方が多く、いろいろとご心配をおかけしただけでなく、この先、仕事を依頼して大丈夫ですか?という率直なお問い合わせも頂いてしまいました。

ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。明日以降は、新たなスタートを切る意味でこれまでのことを振り返るのではなく、分析や提言などの記事を増やしていこうと思います。

そして、新しい名刺はこれです。今回も萩原デザインです。立体的なメディアをプランニングする会社となります。もちろん従来通り、書籍の企画提案とブックデザインは全力で提供していきます。その上で、連動し相乗効果をもたらすウェブメディアやアプリケーション開発にも着手します。

月末までには新しいコーポレートサイトに転換し、事務所移転のお知らせと共に皆様にご案内する予定です。