昨日エントリーをアップして、チームを作らねばならないという衝動に駆り立てられてきた。

直感的にそう感じたということは、そこに商売をやるにあたっての必然があるはずなのだが(直感は大事にしよう)。まだ、神が降りてくる気配がないので、もう暫く具体的にどうすべきなのか呻吟が必要みたい。

ただ、実際組織を作る必要があって、昨日まではその組織を作るべくやってきていたけど、その方向性が多少誤っていたことだけははっきりした。

しかし、チームというとどういうものを発想するんだろう。ググったらF1チームとかチーム・バチスタとかが他のキーワードに出てきたけど、やっぱサッカーチームか。

でもこの中だったら、特攻野郎Aチームっていうのがピッタシかも。土曜の昼に見てた記憶があったけど、小学生のころだと思ったら、これによるとすでに中学生になってたんだな。

また、話がそれた。ビジョンは明確にあったほうがいいと思うけど、いまは自らの手でメディア構築したい!と思っている人が集まって、クライアントが喜ぶメディアをどんどん作っているような、そういったぼんやりとしたものしかない。もちろん、そのメディアはどんなものかという具体的なイメージはあるけど、こういうのは最初はぼやっとしているほうが大きく育つと思うのであえて全部は言わない。

ただ、どういう人が必要なのかということ関しては、ある程度の線引きは必要なのかな。最近は、誰をチームメンバーに加えるのかっていうことが何よりも重要なんだとわかってきました。Aチーム(これってほんとはエーじゃなくアルファなんだよな。たぶん)もミッションは毎回異なるわけだし、何をやるか決められたことしかできないんだったら(やりたくないんだったら)、それは単なる兵隊でしかないだろうし。

そこで新世紀メディア論のメモをひっくり返してみました。

旧来の編集者が印刷所への入稿のための知識をもっているのと同様、新しい編集者はCSSやXML、またDB(データベース)のテーブル設計、あるいはUI(ユーザー・インターフェース)におけるAJAXの導入や仕様についての知識を仕入れる必要があるでしょう。

分業の場合も、エンジニア自らがディレクターかつデザイナーの場合もあると書いてありますが、これはまったくもってその通りだと思います。幸いにして自分はこの手の本の編集の現場にいたので、技術はないけど知識はあります。そう考えると、どちらかというと紙の編集者にこれらの知識を仕込むよりは、ウェブエンジニアに編集を教えたほうがはやいんじゃなないかな。

そもそも、メディア構築とは、よろずや的であり、職能がクロスオーバーしています。なので、構築社自身がどのような職能者であれ、「編集」という概念をもち、使う側の心理や使い方などにつて熟考することが大切です。

でもその「編集」を教えるってのが難しいし、いまだに自分でもこれだっていう正解をもっていない。小林さんだってここは、

そう、編集とはその対象と分かち合う相手への「愛」。そして、技術や見た目へのオタクなまでの情熱やこだわりを指すのかもしれません。

ものすごくよくわかるけど、でも「愛」って。ずるいな、どう教えるのよ(笑)

なにより大切なことは、そのコミュニティの「温度」を感じ、感覚的に「刺さるコンテンツ」をセンスし、人の流れを理解することが肝要です。
そのためには、技術への理解とインターフェース・デザインへのこだわりが必要になってきます。しかし、これは、旧来の編集者のスキルーコンテンツを編む以外の印刷技法やデザインへの理解ーと同じものであり、そのあたりは不変でもあります。

いま売れる本や雑誌を作っている編集者の方々は間違いなく大丈夫ですね。ウェブに興味を持てば。

河野さんも仰っているけど、コミュニティの「温度」を感じ、感覚的に「刺さるコンテンツ」をセンスするっていう意味では、マーケティングやっている人もコミュニケーションデザインやっている人も、とにかくプロデューサー的な仕事している人みんな新しい編集者候補だと思いますね。