先月末にブログに書いていた、個人的な大プロジェクトは昨晩、なんとか無事やり遂げることができました。

8月末に向けて個人的にも大プロジェクトが進行中

この一ヶ月、仕事も山積みでしたが、その合間を縫って、お客様に手紙を書いたり(家内に右筆やってもらいましたけど)、着物を準備したり、個人的に稽古をしたり、なにより初めての茶事にして初めての亭主、はじめての点前で、それはもうかなりの重圧でした。

普段の稽古場も茶事仕様にグレードアップ。今回四畳半小間で行います。

茶事とは要するに茶道のフルコースです。懐石、主菓子、濃茶、薄茶でもてなします。今回の茶事は「ゆうざり」。どんなものかは、ここによくまとまっているサイトがあるのでみてください。

お茶事 (夕去りの茶事) の流れと構成

4時からはじまって4時間かかりました。何が大変かといって、点前も大変でしたが、懐石の運びが尋常じゃありません。

懐石 の流れと構成

これまでも何度かDVDを見たりしていて流れは知っていましたが、当たり前ですが見るのとやるのじゃ大違いです。立ったり座ったりへたすると筋肉痛になります。あとは、料理によって出し方も挨拶もいろいろで大変です。中でも千鳥の盃といって、八寸を出したあとお客様一人ひとりとお酌をして回るのですが、昨日は7人もいたので、それだけで汗だくです。

水屋仕事(裏方)も大変。

いちおう亭主も相伴できるのですが、こちらは慌ただしく、これゆっくり食べられたら美味しいだろうなぁというできたてを裏でかき込むような感じでいただきました。そしてこの後が、炭手前、濃茶、薄茶です。いつもお稽古しているのは要するにこの後半部分というわけです。

で、結局おもてなしができたのか?というと、さすがにそれは無理。型どおりの振る舞いさえできないのに、お客様への気配りや、気の利いた挨拶や会話などできようはずがありません。実際にそのあたりは先生が黒子になって後ろで教えてくれました。

茶道というと点前の練習だと思っている人が多いと思いますが、軸や花やなどの教養や道具の見立てや伝来、それから季節についてお客様と会話を楽しめるかどうか、それが究極の目的。それなのに点前であたふたしてたら会話なんて無理ですね。

今回一連の茶事を亭主として参加できたことは、客をもてなすということについて考える本当に得難い経験でした。たった4時間のおもてなしですが、準備は1ヶ月以上前、もちろん点前のことを考えると訓練は年単位なわけで、そしてなによりもそれができてなおさらなる気配り。

おもてなしというと、なにやら気配りが大事だというような話になりがちですが(大事ですが)、私は「準備」と「訓練」これにつきるだろうと思いました。体で覚えるほどにスムーズに動かないのであれば、どんなに気配りをしたところで、結局、相手に気を遣わせる場面をつくってしまいます。気を遣わせていて気配りもなにもあったもんじゃありません。

準備と訓練については茶道の場合はすでに型がありますので、もし仕事でおもてなしが必要となれば、その「型」があるのかないのか、もしないのであれば、それも必要になりますね。ここは考え抜かれた仕組みが必要です。

というわけで、おもてなしとは、お客様との会話が楽しめること、を最終ゴールにすれば、万事こと足りると思います。会話の余裕がないとか、何を話して良いのかわからないとか、目を合わせることができないとか、挨拶ができないとか、普通どんな人でも全てにおいて足りないことだらけだと思います。

翻ってみて、会社の仕事も根本は全く同じです。何も違いません。逆に最近なんとなくそうかなと思うのは、準備や訓練のおろそかな人間の会話や文章のいかに軽く重みのないものかというものです。よく名経営者が、話しただけでその人がわかるというのは、恐らくそういったところを見ている(感じている)のだろうなとそう感じるようになりました。

手と口の清め方知ってますか。大事な道具が置いてないけど

ところでもう一つこういった茶事で大事なことは、先生が貴重な道具を出してくださるということです。「あなたたち(みたいに道具のわからない人)には金額でいったほうがわかるでしょ」ということで、昨日の席では、総額1,000万ぐらいのお道具を出してくれました。これこそほんとうに得難いことで良い道具ってのは間近で手にとってみると、やっぱり違うんですよね。細かい造形とかも。それを実際に使えるというのは亭主役の役得です。

この道具の大切さというのも仕事に通じると思いますし、これはよくわかります。私の場合は、PCやネット環境が大事な道具ですが、これについては常に最適なものを厳選して利用するように心掛けています。単にカタログスペックが云々というよりも、快適に毎日使えるかというそういった面が大事ですね。今の仕事の道具は消耗品なので別に高ければいいわけでもないのですが、何が良い品物なのか、それを見極める目を涵養するために相応の投資は怠らないようにしています。

これだけでいったい新車が何台買えるのか。