令和デザイン

平成もまだ2週間ありますから、それがどんなものなのかはわからないわけですが、変貌する最近の都心の様子をみていて兆しを感じるところがあります。

平成4年に沖縄から直行して上京しましたが、失われた20年そのままに、つい最近まで街の風景も代わり映えなく、3.11直後は寂れた感じもあって残念に感じていたのですが、ここに来て街に突如として現れる新しい建物をみていて楽しみになってきました。

この同じ期間を創業と子育てとの両輪で遮二無二やってきていたので実感が薄いのですが、バブルの残滓と反動からの息詰まる閉塞感との両方を実感していま思うのは、なんだかんだといいながらも、着実に豊かに安全になっているということでしょうか。

先日亡くなられた堺屋太一さんが、これからは楽しい日本がキーワードと仰っていてなるほどと思っているのですが、ただしそれはお祭り騒ぎのことではないんだろうと感じています。

当たり前だと思っていたものが急速に色褪せて見えていて、時代の空気みたいなものはガラリと変わるものなのだなと感じています。心機一転、ひと目見て、新しくていいなとわかるようなものを作っていきたいなと考えています。

新年度にあたって

8月期首の当社、業界的にも「年度末進行」は過去の話となり、しかも今月で平成も終わりのいま、あえてこのタイトルで書いておこうと思います。たぶん最初で最後。

新元号「令和」が発表されました。ネットで緊張しながら見守ってましたが、一瞬、ヘイワ?と聞こえて、え?と思いました。

「平成」のときは朝からビデオを撮ってました。テープはどこかに残っていると思いますがカビだらけだろうな。そもそもデッキ(という響きも昭和だ)もどこいったやら。

新しい感じの響きがあるなと思いましたが、国書からとったと知り、いろいろよく考えてあるなと納得いくとともに、新しい時代がくる感覚を持ちました。

ということで、昨年末から、社内体制変換や子供の受験で公私共に年末年始返上の働き詰めですが、残り一月、古いものはすべて平成に置き残して、令和元年から取り組み刷新していきます。

やることは3つに絞ります。

1.書籍のデザインサービス「ISSHIKI」の経営(リニューアル作業中)
2.読まれる本をつくる出版社「金風舎」の企画営業(面白い本の出版と情報発信企画)
3.ローカルメディアコミュニケーションズLLCの企画営業(出版・情報発信)

今年度は、畑耕して種まきして芽がでるまで。

西口でもらった号外、タバコ臭い喫茶店で見る新聞紙面の「令和」。昭和な近未来SF感(ということは終わってるなと)。

楽しい仕事をする

2度ほどミリオンセラーで一世風靡した仕事に携わりました。1つは編集で1つは装丁で。

特に編集案件は編集印税を頂く契約にしていたので儲かりました。そしていずれも「楽しかった」という思い出。

それからいろいろあって感じることは、やってみたいことを、やりたいようにできているかどうか。結果うまくいってもいかなくても、喜びや苦労をともにできる仲間がいること、それ自体が有り難く、楽しいことだということですね。

事業で儲けを作ることは大切ですが、それは単に金があればがいいという話ではありません。超低金利のいま、資金調達はコツをつかみ真っ当にやっていれば簡単な仕事で、お金を集めること自体にほぼ意味がないと思います。

やりたい仕事をやりたいようにやって、人に感謝され対価を頂き儲けを作ること。

豊かな未来を見据えいま必死に働くという昭和の働き方で、安全で豊かな時代が実現していたのに、さらにそこから豊かさと安定を目指すことで、新たな苦しみを生み出しているように思います。

楽しい仕事を作って、楽しみたいと思います。

良いサービスを「楽しく」作ること

ただでさえ難しい2つのことを、同時にやろうとしていて大丈夫なのか? と書いている本人も一抹の不安を覚えますが、そうする必要があると強く感じています。

良いサービスとは、当社の書籍デザイン制作事業のISSHIKIに、企画・情報発信支援サービスを追加した「出版サービス」を買って頂けるようにするということです。

すでにいくつかのテストケースで成果を上げているので、あとはこうすれば良いという絵図は描けていて、はやく手を付けたいと思いつつも、いざ目前にすると膨大な課題を前にして怯んでもいて、3歩進んで2歩下がる、といった岩盤に久々にぶち当たっている感覚がありました。

強固な岩盤を打ち砕いて前進させることは、ここ数年の「動かない!」ことを動かす経験から面白みを感じるところで、また打ち砕けたときの快感は得難いものがあり、そういったことで気力は損なわれていないのですが、もう少し効率よく進められないものかと考えていて、大事なことが不足していることに気づきました。

やりがいの塊のような仕事、楽しまない手はありません。

この2年ぐらい、退潮著しい業界の動きに加え、働き方改革で、前に進めば進むほど苦しい思いを感じていましたが、落ち着いて考えてみれば、先が見えていても未来のない道を進もうとしていれば、それは楽しくなるはずがありません。

先の道のりがすべて見えていなくても、先々楽しいと思える方向に進む必要がありますね。

この「楽しくやる」という取り組み方、密かにこの先2020年代を考えたときの、重要なキーワードだろうと考えています。

楽しいことをするには、安全を確認した上で、ある程度の危険に身を置く必要があります。危険というとすぐに生命の危険と結びつくのは戦後日本の特徴なんだろうなと感じていますが、ビジネスとして楽しいことをするために必要な危険は経済的な危険です。

安全で豊かということを追求していばかりでは、面白みにかけるというのも、この数年でよくよくわかりました。しっかりと危険は見据えた上で、楽しんでいける手法を取りたいと思います。

そういえば昔はその危険を楽しむことしかやっていなかったな。今更ながら思いますが、あれが若さというやつですね。

「不調も三年続けば実力」の半年

「不調も三年続けば実力」の3年目 | katsukinoboru.jp

現実に生じていることは、あの当時とは真逆で、経営的に危機的な状況は全くありませんが、再調整を図る「不調」と認識して半年が経過しました。

「『不調』というのは、正しい取り組みをしていて結果が出るまでのタイムラグ」

8年前は、実力不足ではなく不調と信じたい一心で引用しましたが、今回は羽生さんの言葉が深い部分で染み渡ります。また、前回と違って調整期間に突入すると決め、抜けた先の楽しみが明確に見えていての取り組みである点が違います。

今回調整しているのは、私自身の働き方改革です。

RAIZAPで体調を整え、「一流化」計画で事業構造を見直し事業を整え、子育てが一段落したところで、その総仕上げとして、次のステージに上がる転換、調整を図っています。

本日は経営会議でしたが、経営報告をスムーズにまとめ書ききれたので、折返した感がありました。

ということで長くてもあと半年です。


真の震災復興は震災がなかったことにしている

崖っぷちでもがんばっぺ ~おかみと社長の奮闘記~

3.11直後に、いろいろな失敗を認めて会社の出直しを図り、一気に債務超過に陥りました。全部このブログの過去記事にあります。

当初は私も「あれから何日」といったように数えていましたが、そういうのを止めると決めてからですね。ほんとうに業績が回復したのは。急速に。

そのとき同時に、「戦後(震災)何年」といったような報道が急速に色あせてみえて、自分の中で「戦後」時代(昭和)が完全に終わったなと思いました。

復興を目指すなら、現実は厳しく見つめながらも、楽しい未来を作ってます、という発信と実行あるのみと思います。

おかみの宿はいけると思いました。私も頑張ります。

平成30年秋季皇居乾通り一般公開

毎年気づくと終わっている一般公開。ようやく出かけることができました。

皇居乾通り一般公開について – 宮内庁

日頃見られない皇居内を見られるということで、実のところ紅葉は二の次だったのですが想像以上に見応えがありました。

クリックすると大きな画像で見られます。新しいiPhoneで撮ったのですが、これをipadで見てる分にはすごい写真に見えるのですが、ブログに貼ると今ひとつですね。

坂下門
宮殿
宮内庁
富士見櫓
山下通り
富士見多聞
局門
門長屋
道灌濠
乾濠
蓮池濠
東御苑に抜ける道
東京駅
日比谷ミッドタウン

4年越しで能登半島を制覇した

家内の実家は石川県の小松市ですが、彼女も能登半島に行ったことがないということで、当然私も行ったことがなく、数年前に家内が帰省する機会に合わせ出かけました。ところが能登半島は思った以上に奥深く、輪島についたところで時間切れ。和倉温泉のあの加賀屋の隣の宿にとまって帰ってきました。

あれから4年。今年は吉方位が能登半島という助言を得て、最初は時間も無いことだし一人で気多大社まで出かけようと思っていましたが、その話をすると珠洲まで行きたい上半分も回りたいというので、下の子達を長女に託し一緒に出かけることにしました。

当初は週末一泊、神社にいって温泉つかって骨休めと思ってましたが、自宅からクルマでひたすら能登半島の最先端を目指し、この際だから行ってみたいという彼女の要望にひたすら応える骨折りの旅となりました。

ただ、主婦感覚での宿や食事の選択は、結果的にコストパフォーマンスもよかったので、2日で走行距離1200kmの荒行で疲労困憊しましたが、気持ちとしてはかなりスッキリしました。

日頃あちこち気軽に出かけている身なので、自分一人だとまた今度来ればいいやと行くのを見送ることが多いのですが、誰かと一緒に、特にこの際いろいろと満喫したいという思っている人と一緒だと、巡り合うものも違ってくるように思います。

宿についたら隣の街でお祭りをやっているというので、行ってみると無形民俗文化財となっている神事でした。「あばれ祭り」というそうですが、驚いたのは若者が沢山で、ここの祭りは後継者不足とは無縁だなということ。こういうことも一人で出かけていたらわからない気づかないままでしたね。


あばれ祭 - 日本遺産「灯り舞う半島 能登 〜熱狂のキリコ祭り〜」能登のキリコ祭り

伊豆や紀伊などもそうですが、半島には独特の雰囲気があると思います。日本列島半島制覇の野望がふつふつと湧いてきましたが、これからは一人で出かけない旅を考えようと思っています。

宿の目の前にある見附島(軍艦島)。

改装されたばかりできれいだし食事も地元の新鮮な食材で、国民宿舎だしなと舐めてかかってました。主婦感覚大事ですね。

聖域の岬。下はあの”ランプの宿”。ここは一度泊まってみたいですね。

日本3大パワースポットの青の洞窟。ブラタモリ風に岩石触ってみましたが、うんちくは何も出てこず。タモリさんはすごいなと。

レビュー見るとボッタクリだの散々ですが、こういった場所を維持して観光客を捌くのだからそういうものだろうと思います。先程の展望台含めて1500円。高いか安いか。

ここが能登半島の最先端。歴史ある灯台。最寄りの道の駅から小高い山を10分ほど登ります。

同時に日本の中心。能登はパワースポット目白押し。

帰りの食事は適当にと思っていたら、さざえ祭りをやっているということで目的のお店まで寄り道。東京からクルマで来たんですかと驚かれましたが、これは寄り道したかいがありました。1350円。

無事到着。2日で1283km。ひたすら走っていたので燃費もまずまずで、ETCも週末の割引だったので今回は旅費がほとんどかかりませんでした。

 

 

 

14年目の運動会

週末は長男が1年生のころから数えて連続14回目の運動会でした。

ひところは3人同時で撮影編集係は大変でしたが、数年前から次女のみとなって多少寂しくなってきたところに、今年はいよいよ昼食が親子別になって、ますます地味な感じになってきました。これも時の流れですね。

といっても地味になっているのは我が家の話だけで、学校の方は少子化が嘘のように、この数年のマンション建設ラッシュで近辺住民激増のためクラスは倍増となり雰囲気は様変わりです。

校舎建て替え前は、昭和の牧歌的な自分もよく知る運動会の雰囲気でしたが、最近は新校舎のように現代的な野外スポーツイベントをみているかのようです。このあたり社会的な進化を痛感しますね。

そして観覧側も、昔はキャンプセットをもってきて酒盛りに近い親御さんたちもいらっしゃいましたが、ここ最近は学校やPTAの皆さんの努力で見違えるように皆さんスマートに観覧、撮影されていらっしゃいます。

というわけで、今年もそうなんだろうなとのんびりでかけたのですが、さていよいよ撮影だとビデオを取り出したところで、いきなり怒号が聞こえてきました。何事かとふと横を見ると、PTAのパパさんが最前列で仁王立ちして撮影をしている年配の男性二人に腰を低くするように注意しているところでした。

間違いなく生徒の祖父世代の方々だと思いますが、お二人とも体格良くしかも高そうなゴルフウェアを着こなして堂々たる容貌でしたので、恐らくそれなりに地位のある方なのだと思います。ただ、いきなり息子のような男性に面前で咎められたので、鳩が豆鉄砲を食らったかのような表情でフリーズしてました。

もう少し言い方もあるだろうなとも思ったので、だからこの世代はといった話にするつもりはありません。逆に、多少は反面教師として将来の学びを得た一方で、このところ強く閉塞感を感じる代わり映えしない現状とに照らし合わせ、現役世代としては、もっと考え抜いた対応をしていかないとならないんだろうなと、単に先輩世代を責めても仕方ないぞと、そういった思いを強く抱きました。

小学校の運動会参加もまだあと2年。

自負心との付き合い方

上手いタイトルを思いつかないのですが、言いたいことは「おじさんになっていることを自覚するのは難しい」ということです。

編集者として仕事を始めたその翌年にWindows95が発売され、すぐにインターネットがやってきて、今で言うところのブラック企業な環境でDTPをする編集者として解説書を作ってました。

もともと今で言うところのアーリーアダプターな父親のお陰で、高校生のころから自宅にはNECのマイコンが家にあって、デジタルには慣れ親しんでいた方なので、コンピュータ技術書の仕事は面白く、HTMLからExcelVBA、Linuxそして自作パソコンと手当たり次第自力でやれることはやってきて、ネットのサービスがいろいろと出始めると、これを端から試して回って、そこそこ何かがわかっていると思ってきました。

確かに、それは小さな会社で雑用係を兼用せざるを得ない社長業をやっていくにはとても役立って、またそういったことを活かして新しい事業を作っていきたいという野望に燃えてやってきましたが、時の流れは残酷ですね。決して怠けていたわけではないですが、やはりすべてのことを自分の力でやれるわけでなく、限界があることを知らされました。

もともとエンジニアの技術や才能があるわけでもなく、それ以前に編集制作会社としてやることに追われていて、簡単にいうと器用貧乏な状態のままここまでやってきて、ふと気づくと何もかもが中途半端な状態になっている、そういう状態です。

ほんの一瞬、もういちど学校にいって自分で勉強するべきかと思いましたが、15秒ほど悩んで止めました。これまでウェブエンジニアリングについて、きちんと人に任せることなく片手間でやっていたことを反省し、専門家にお願いして体制をしっかりと構築し直すことにしました。

ほんとうに今更ですが、気づいてやり方を変えたので良しとします。おじさんはおじさんらしく、いろいろと若いものに気持ちよく働いてもらえるよう、その気にさせるような仕事に徹しようと思います。