ハブメディアでの事業提携を検討中

今日は具体的にハブメディアプロジェクトを提携して展開したいという会社に出向いてきました。事務所から徒歩3分という近所です。

大手企業をクライアントに持つシステム開発会社ですが人材派遣の部分でかなり運営ノウハウに長けた会社のようで、受託開発だけでなく開発業務を社員にも積極的に手がけることを進めていて、提案してくださった方も、実はこの会社で働きながら当社の外部スタッフとしてテクニカルライティングで協力していただいている方です。

今回は明確に、執筆と編集の分業でハブメディアを大量生産できる可能性が見えてきました。なによりビジョンに共鳴してくださって問い合わせてくれたということで、とても話が早いです。

このところ制作案件はたくさん増えてきたのですが、そろそろ本格的にハブメディア編集者が不足してきました。さて、人材確保どうしようかと考えていますが、そういう視点で、このヘッドウォータス社の社長さんのブログを読んでいて、人材育成感には共感できる部分が多いです。

当然、リーダーとして、ビジネスパーソンとして一流を目指さなければならない。この両面を徹底的に要求するのがHWSだ。どちらか一方をやっていれば、安定な未来が手に入るならHWSなどいらない。エンジニアは他社へ行けば良い。

育成とは要求すること - 株式会社ヘッドウォータースオフィシャルブログ

一見鬼のように見えますが、私には仏の社長さんだなぁと思います。

エンジニアの前にビジネスパーソンたれというのは、当社もまったく同じで、クリエーターの前にビジネスパーソンじゃないと話にならないので、いくらパソコンの前でマウスをカチカチしてても編集者にもデザイナーにもなれないよって言っているのですが、まぁ気づかない人はいつまでも分からないのかもしれませんね。

メディア作りの仕事に取り組む情熱ある人を集めたいと思いますが、情熱がある人というのは、具体的にいうと厳しい要求を乗り越えて成果を上げていける人ということで、大声を出していくことではありません(声出さないよりはいいけどね)。

で、会議室から御苑が一望できました。実はここのビルは狙ってたんですよねぇ。いいなぁ。

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「新世紀メディア論」 − [mi]みたいもん!

ただ、ここに書かれていることはとっくに現実になっていて、その現実を受け入れられるかどうかで、出版社のネット戦略は大きく違うものになるだろうということは想像できます。

[mi]みたいもん!

いろいろなレビューを読んでいると、みなさん本書の造本について感心されておられて、さすがこばへんスゴイという感想なのですが、私も小林さんは、書籍や雑誌というデバイスには大変愛着を感じておられるのだろうし、それが絶滅するなどということは全く考えておられないと思います。これからもいい本は売れ続けるだろうし、新聞や雑誌はなくなるかもしれないけど、本は絶命しないだろうと思います。

小林さんも冒頭で、出版業界を取次制度依存業界に過ぎないと断じ、出版という言葉を再定義しようと仰っているとおりで、新しい出版をやっている出版社もあれば、どっぷり依存体質でやっておられるところもあって、後者の場合ネットメディアの現実を受け入れたら会社自体が成り立たないんじゃないかと思います。少なくとも依存体質の会社はネット戦略(ってどんなのか分からないけど)でなんとかできる範疇のことではないかと。

デジカルとしては、いい本を作っている出版社とは引き続きお仕事をしていきたいし、自分たちでもネットメディアも作っていきたいし、ネットメディアを作りたい人とも一緒に仕事をしていきたいし、そのこと全てをひっくるめて新世紀メディア論の「出版」と理解しています。

「新世紀メディア論」 − 湯川鶴章のIT潮流

勝ち残りたい社は、この本の内容を理解して進化し、古いビジネスモデルから脱却できない競合他社を蹴落としていくしか生き残りの道はない。この本は競合他社と肩を並べて勉強するような内容ではないし、そうする時間はメディア企業に残されていない。

湯川鶴章のIT潮流

同感です。勝ち残りたいです。どんどん蹴落とします(笑)

私もどうしてあの会社(版元ね)は、素晴らしい環境が整っているのにやらないんだろう?と思うところはたくさんありますが、それは古いビジネスモデルから脱却できないからですね。
#だからあの会社に話を聞きに行っても時間の無駄だと思うよ。ほっとけばいいんじゃない?>寺内さん

小林さんも本書を通じて訴えていますが、同業の出版人に対するもどかしさみたいなもの、私自身は、逆にそうやって古いままでいてくれた方が競合が減ってありがたいなー、まだまだ気づかないでくれーと思ってます(笑)

横並び意識のまま共存共栄を目指せる状況ではない。」と湯川さんは仰っていますが、私もこの問題は同業でいくら勉強会開いたって、または情報共有したって、何の意味ないんじゃない?と思っています。ま、みんな不安なんでしょうけどね。

ということで、逆にウェブでこの本の書評書いている人は、きっと、そういう感じで群れない意識の高い方々ばかりだと思うので、こちらから押しかけていって勝手に1人読書会続けようと思います。

「新世紀メディア論」P.028

今日はP.028。

ウェブ上では取次に任せておけば本が並ぶというわけではないのです。すべて自力で、マーケティングからプロモーション、はてはビジネスまで編み出す必要があるのです。だから、ネット上でメディアビジネスを行うということは、自然と全部やることになるのです。

私の会社では、ということで以下の項目を引き受けているとのこと。

  • 編集、デザインは「できて当たり前」
  • システム開発
  • SNSのエンジン提供
  • ブログのカスタマイズ
  • 戦略立案
  • 市場調査
  • SEO
  • ウェブプロモーション

編集・デザイン「できて当たり前」とあっさり書かれているのですが、このどちらも戦略なくして成立しないものだと思うので、実はこの2つができるということは、そもそもウェブメディアの戦略立案ができる、といことは市場調査もできてマーケティングもできた上でという話だから、その裏付けとして要素技術を理解してコントロールできないとそれは無理だろうし、というわけで、やっぱりその下全部ができてないと無理ということですか。

それには相当な知識量と経験値が必要になるだろうけど、この全部を自分でやる必要もなく、どこを押さえてやっていくかということでしょうか。

さしあたって皆目検討もつかないのは市場調査の件。この場合の市場って何を差して仰ったのかこの部分だけではよくわかりませんが、ま、どうせ皆目検討もつかないのだから直感でいいんじゃない?と、今日のところはそういうことにしておきます。

わたし自身は他企業のメディアを組成するお手伝いも立派な出版事業だと考えていますが、前述のように「出版」の言葉の壁がそう謳うことを阻み、多くの人から「出版人じゃない!」と論難されるわけです。

これからはメディア編プロの時代だって理解しました。

あ、メディア組成のお手伝い仕事の場合に、上に列挙したことを当社でもきちんと説明できないといけないね。そういう人材育成と人材確保をやります。

新世紀メディア論-新聞・雑誌が死ぬ前に 新世紀メディア論-新聞・雑誌が死ぬ前に
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「新世紀メディア論」P.138

さて。これに触れないわけにはいかないでしょう。
ひとり読書会をやって、どんどんメモを作っていこうと思います。

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付き合ってくれる人は何かコメントください。

今日はP.138。

「本書で紹介した「BOING BOING」や米「GIZMODE」のようなブログ・メディアも、その滑走時(冷遇期?)には、「メディアを創出したい」という”怨念”のような非合理さがドライブしてきたものと推察されます。損益?赤字ならほかでバイトをして、それをやり続けるだけですよ。」

ああ、もうこれで結論じゃないかと思いますけど(笑)

さっきカンブリア宮殿の録画みたら一風堂の社長さんが出てましたが、新しく飲食店始める人に仰りたいことは?と村上龍に問われて。

「大変ばい。現実に始まったらあんたが思いよるようには上手くいかんちゃないと。ちゃんと考えとるか覚悟はしとるか。」

ほんとそうやろうね。

相客に心せよ

4月で稽古を初めて3年目突入です。

先輩方といっても、中には他では先生をやっていらっしゃる方もご一緒なので、かなりハイレベルなところに加わっているのですが、このところ、花月といって、5人で札を引いて順番に亭主や客を交代で行う稽古があって、ようやくその末端にも加えてもらえるようになりました。

それでも、まだまだ、手が違う、置く場所が違う、動作が速いなどと様々注意され続けているのですが(まぁ先生には一生言われ続けるわけですが)、よく犯しがちな過ちは、茶碗を引いて、茶巾をとって、次は何?などと、頭で先に先にと「自分の所作のことばかり」考えていて、肝心のお茶がおいしくない、ということです。

簡単な点前でも相当の集中力が必要ですが、それでも手順を間違えます。慎重にやって、さらにお茶を美味しく点てるためには、相当の鍛錬と準備、それに裏付けられた余裕があって、さらにその先に客を思いやる心が必要で、そういうことを失念しがちです。

これは仕事でも全く同じでしょう。社員を見ていても同じことをいつも思います。自分の技術を磨くことばかり考えていて、もしくはゲラをつくることばかり考えていて、執筆者や依頼者や同僚や協力者のことがすっかり抜け落ちている人。そして、そういう人は肝心の品質が足りないことがほとんどで、「自分の力が足りなくてすみません・・・でも、自分はこんなに頑張っていますよ!」と。

あくまでも自分の気持ちだけが大切なようです。

会計参与の前沢先生にも、これからは、日本人の質がどんどん落ちていく、そういう中で社長はどう経営をするのか?ということを毎回、問われています。

先日、歓迎会があるというので店にいったら歓迎すべき相手が待っていて誰も来ていません。昨日、会議をしたら予定時刻の5分を過ぎて、集まって くださいと声をかけられて、ようやく集合。嗚呼。社長の日頃の行いが良くないですね。こういうのを叱り飛ばしていかないと、この人たちは一生、子供の感性のまま生きていくんだと。心を鬼にして叱って行かねばと思いました。

相客に心せよ。

でも、これが、ああなるほど、こういうことなのかも、と頭にはいってくるためには、相応の稽古が私にも必要でした。

だから、今いくら社員にブログやメールで訓示をしたところで、彼らの頭には一切入らないでしょう。

その稽古にしても、最初、師匠に、背筋を伸ばしなさいと注意されたときに「もっとお腹を出しなさい」と教えてくれたのですが、そうやって、ああなるほどと思える指導を考えたいと思います。

【メモ】コミュニケーションって不足するものなのか

コミュニケーションって何ですか?って問われたら皆さん答えられます?
正直に告白しますが、私はいま正確な答えを持っていません。

NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」って番組で最後に質問しますよね、プロフェッショナルとは何か?って(最近は見てないんだけど、確か)。それでいろいろな答えが出てきて、ふーん。へぇ。なるほど、と思うのですが、きっとあれですね。コミュニケーションも。そう思っています。

対話とか会話とか意思疎通とか、具体的には立ち話、井戸端会議、打合せ、メール交換、電話、チャット、ブログコメントとか、ですか。人それぞれコミュニケーションってこうだという定義があるんじゃないかと思います。

立場上、よくコミュニケーションが足りないって言葉を耳にするのですが、あれってどういう意味で言っているのかいつも不思議に思っていました。足りないっていうのは、いったい何センチメートル不足なのか、もしくは何キログラム増量すればいいのか、そういう具体的な指数で示せるものなのかと。

いろいろ考えた結果、コミュニケーションは、究極的には「ある」か「ない」か、の違いしかないんじゃないかと思っています。もしかすると「ある」場合に、「快適」か「不快」かの違いはあっても、足りる足りないの問題はあり得ないと考えています。

ということは、なにかにつけて、「コミュニケーションが足りません」と口にしている人は、ここは自分を快適にする環境ではありません、という不満を漏らしているに過ぎないと、最近ではそういうように理解しているのですが、どうしてそう考えるのか、その背景を考えてみました。

恐らくですが、なんとなくコミュニケーションっていう言葉にすると、美しく穏やかで、親密な対話のことを想像されることに問題があるんじゃないかと思います。もしくは「そうあるべきだ」という考えが根底にないかと。

私自身は、軋轢、摩擦もコミュニケーションだと思っていて(短気だからなおさら)、それこそ「炎上」だって過激だけど、立派なコミュニケーションじゃないかと思っているので(疲れるだろうけど)、喧嘩だってどんどんコミュニケーションしていると思っています。

だからといって、これは言いたいことを言いっぱなしにしろという話ではなく、そもそも不足しているのは、あなたの意思表明なのでは?ないかと思うのですね。

ということで、結論みたいなものはないのですが、まずは発表、公表しなさい、話はそれからだ、ということで、ブログもそうだし、出版もネットメディアだって、そうだろうと思って、淡々と毎日コミュニケーションしていきます。