陸軍参謀大佐 松谷誠

今年の夏もいろいろと番組をやってましたが、薄っぺらなものばかりで印象に残るものが少ないなか、この番組のエピローグが胸に突き刺さりました。

調べたら松谷大佐が当時40代前半ということもわかって、もう一度番組見直してキャプチャ画面取って見返しています。

組織でことを動かすことがどういうことなのか、ことを成すこととはどういうことなのか、自社に留まらず関与する関係者が多岐にわたるプロジェクトが増えてきて、ついつい「こうすればいいのに!」「そこでなんで!」と、そういう思いが先立ちそうなときに見返しています。

組織で活動してことをなすということは、単なる我慢や辛抱ではないんですね。寛容、忍耐、滅私、孤独、慎重、決断。全ての要素が必要だと。なるほどと。

しかし松谷大佐の当時の活動を考えれば、国会でデモしている人間をニュースで大々的に流すことに大した意味がないことを改めて感じます。

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46歳になりました。

例年の振り返りポイントとして。

40になったかならないかぐらいに、「45歳まで」というゴール設定をして、公私ともに取り組み方を変えてきました。この5年近く、周囲との軋轢は尋常ならざるものがありましたが、結果達成率が9割に到達し、十分すぎる成果だと思うので、いろいろあったことも結果オーライとし、すべて過去の話として流し去ることにしました。

この46歳の誕生日を節目と考えて、次は10年先を見越した計画を実行することにしました。事業の発展拡大は言うまでもないこととして、今後は新規性と持続性を常に意識していきたいと考えています。新しいこと、特に価値創出を続けることは至難の業ですが、その素地を作るところからしっかりと。

また振る舞いも変えていこうと思っています。ひとつ固く決意していることは、目上の人から仕事を貰うような仕事はしないということ。要するに短期的な売上を考えた営業はもう止めたということですね。もちろんトップセールスは今後も全開でやりますが、大したこともないのに、なんだか偉そうにふんぞり返っているおっさんやおばさんに合わせて付き合っている暇はもうないなと思ってます。

これ単純に年上の人と仕事をしないということではなく、感性のない人と交わることは時間の無駄なので止めようということで、年配の方でもキラキラしている人には、こちらから何か貢献できないか模索して一緒にできる仕事をつくっていこうと思っています。

あとは普段の靴をスニーカーにすることに。ほんとうはスーツや靴も新調してスタイル変えてみようかなとかも思っていたのですが、最近書店で並んでいる一流の人間は的な本に、スーツとか靴とか時計とか、四六判のビジネス書で何気取ってんの格好悪と思えたので。これも単なる反抗期ではなく、スマートかどうかは見てくれじゃなく自らのビジネスの成果物で示すという意気込みです。

 

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過去記事:

42歳になりました。

44歳になりました。

45歳になりました。

脱「売れてます!」宣言

やらないよりはやった方がまし程度のプロモーションしか出来ていませんが、やっててつくづく思うのは「売れてます!」という売り文句の空しさですね。

確かに本当に売れているので嬉しくなって、記事にしたり呟いたりするんですけど、これって「だから?」ですよね。もちろん一定の効果があるので全く無意味とは思いませんが、やはりやらないよりまし程度。

結局、いいものは放っておいてもそこそこ売れるという単純なことの証明でしかなく、自らの販売能力の無力さをただただ実感するだけですが、開発販売戦に乗り出すと決意したので、ここは開き直って突き進みます。そのうち何かわかると思います。

課題山積ですが、もう一度原点に立ち返って「そこそこ」売れることを喜ぶことを止めることから入ります。もの凄く売れるものを作ることをやらないと販促頑張っても無意味。なので「売れてます!」と書くことも止めます。

そして今月からステップを一つ繰り上げて、創る目標のゼロを1つ増やすことと、ここ数年まともに企画書を書いて仕事をスタートさせていなかったので、企画書を書く仕事を厳選して再開します。

もっとも企画書書かないと始まらない仕事は、早晩なくなると思いますけどね。そう思っていたら先日とあるMTGの席で、実績のあるデザイナーの先達もそう仰っておりました。

紙の企画書を前にして会議したり稟議したりしてたらもうね。天を仰ぎ見ますよ。メールも古いです。スマホのチャットアプリで決裁する時代ですから。

 

シルバーウィークを改造することにした

熱心に調べたわけではないですが、シルバーウィークというのは、ゴールデンウィークが提唱されたときと同じころに設定されたらしいですね。ただゴールデンウィークと異なり定着せずにいたところを、2007年に休みを取れない日本人のため、当時の与党が本格的に後押しして普及したと。

もはや祝日とは何か、休日はどうあるべきかなど、本質的な視点が抜け落ちている上に、夏期休暇を取ったばかりなのにまた連休で、そもそも生産性を上げる概念の薄い現代の政治家に期待する方が間違っているんでしょうけど、経営者としてはまったくもう面倒なことしやがってという感想です。

こういう決められた連休がなければ、いっそのこと夏休みを連続2週間にしようとかできるんですけどね。ということで、1人あたりの生産性の追求の過程で、ドイツ人の仕事について研究していました。なんで彼らは1年に150日も休めるのかと。

ある本を読んでみると見事なくらいドイツ人に比べ日本人の生産性が悪いことがわかったのですが、よく調べてみると、それはサービスとトレードオフになっているんですね。さらに社会保証負担が大きいので個人の可処分所得も少ないと。

確かにドイツ人に比べてダラダラ働いているのかもしれないけど、その分ドイツでは考えられない(日本人にとっては当たり前の)サービスを甘受できると思えば、どうだろう、やっぱり今の日本の方がいいのかなぁと思いました。

というわけで、ひたすらに生産性を追求することを止め、程よくアレンジしてやってみる方法を考えることにして(そこは小さな会社の利点を最大限活かし)、連休を勝手に改変することにしました。

シルバーウィークの最終日9月23日(水)秋分の日は出勤日にして4連休、そしてその代休を11月2日(月)にして11月の頭を4連休に。

実は9月末に会社としてはひとつ大きな転換点となるサービスを開始します。ただその準備が滞り気味で、社員の意思統一と士気向上とで合宿でもやろうかと考えていたところ、どうせ中途半端になる週半ばの連休の最終日を研修日にして、その代休を使って新しい連休を作るという我ながら画期的なアイデア。かな。

自画自賛。

雑草

昔、萩原さんと「我々は雑草だから」という話をしてました。元々編集者からデザイナーや経営者という転職で、何の権威も資格もない上にスタート時点は実績ゼロ。名も無くしぶとく体当たりしか出来ない、ぐらいの意味でした。

当初から取引先は版元が主ですが、マンションの1室でやっているようなところから1000億規模のところまで、話があればどこへでもという感じでやってきました。どこに行っても平然とやってこれたのは、どこに行っても勉強させてもらっていると思っていたからだと思います。

ただ自分の方はある時点から、経営者としてこれでいいんだろうかと疑問を抱くようになりました。どこかで峻別を始めていたんですね。ここはもういいんじゃないかとか、ここは気合いをいれてとか。そうするとそういうつもりがなくても大きな所に行くと緊張するようになってしまいました(それは版元ではないです)。そして大抵そういうところは名ばかりでほとんどがスカでした。

業態が受託ですから、ちょっとでも気を緩めると下請けだと恐怖感を持ってやっていたので、そうやってあたりがなくなってくると焦りも出てきます。さらに上(という考えがもう終わってるわけだけど)を目指して一発逆転の気持ちです。そしてその気持ちと裏腹にだんだんくたびれた営業マンの風体に。

難しいのはそういう状況だとしのげるんですよね。それとやっている感もあるし、つき合いも広がるし。あとはサラリーマンとしても中途半端に終わっていたので、ちゃんと部課長っぽく歯を食いしばって、みんなご苦労!と声かけ、ふぅとネクタイ緩めるみたいな、そういう仕事もやってみたいという思い残しもあって。

ただやはり心の奥底でどこかそれは違うと、それがやりたかったわけじゃないと、そういう気持ちが芽生えてくるのもわかりました。何年か前の話です。

そういうときにある経営者の方とお会いしました。今も取引させて頂いていますが、同世代ですでに社員も沢山抱えて大きく事業を展開されていて、十分儲かっているんだから遊びまくってても何の問題もないだろうに、新しいことにも貪欲で。

その方の会社はネットで事業をやっていますが、本人は一切ネットに出てこないし、何か積極的に営業に出ているようにも見えないしで、一度飲んだときにどうやっているのかを聞いてみて、なるほどそうか、そういう立ち位置もあるか、それいいなと思って今に至ります。あえて言えば戦略的な引き籠もり。

翻ってみて何が苦しみの元凶だったのかと考えてみれば、どこかで承認や評価を求めていたんですね実績を出す前に。それもちょっと俯瞰してみればたいしたことの無い村社会で。自分としては脱藩浪士を気取っていても、それは草莽志士のように志を持って新しい場を開拓するのではなく、どこかで上手い仕官先がないかと下卑た気持ちがあったんだと思います。

そう思って言わば心のちょんまげを切ってみれば、何のことはなく昨日と同じ今日であっても見えてくる世界が全く違うことに気付きました。もっともそうなると今度は身近なところに軋轢が生まれてそれを越えるのに時間がかかりましたが、そこはうつけ者と思われておけば万事OKです。

最近、何かの記事で読んでなるほどと思いました。雑草とは望まれないところに生えてくる草のことだと。生えてくる場所をシフトすることで、生き残る戦略があるそうです。

お茶のお稽古に行けていないのですが、茶花を覚えないといけないと思ってました。元来動植物にそれほど興味もないので、面倒なことだなぁと思っていたのですが、そこにまだまだ知識の多さで評価を求めようという心(要するにモテたいという気持ちですな)があることにも気付きました。

成熟社会で花が多い社会になっていると思います。たとえ世界に1つだけの花だとしても、埋もれて生きるのは辛いんじゃないかと思うこの頃、雑草は名のない草花ではなく、生き残りの戦略として生えるべきところではないところに生える選択をした草と思えば、一見地味だけど面白そうな生き方ができそうな気がしています。

時代錯誤

夏休み最後の日曜日。小学生の下の2人の子守でお昼ご飯を食べさせに出かけたあと、雨だしどうしたものかと考えて、室内で遊ばせるならあそこだなと都心に出かけたら国会前のデモに遭遇しました。

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「戦争法反対」などという使っている言葉の乱雑さからも、勉強不足も甚だしい人に向かってコメントする気も起こらないのですが(バカな学生にはさらに言葉も無いけど)、実際にぞろぞろ参集していた年配の人たちを初めて間近でみて、そうか、そうやって生きてきたから仕方が無いんだろうなぁとしみじみ思ってしまいました。

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で、直後に肝心の行き先である北の丸公園の科学技術館前に行くと、ここはここで最後の日曜日だからか駐車場渋滞の長い列。まさに目前で岸元総理の安保反対のサイレント・マジョリティ発言を実感してしまいました。

零細企業の経営者ですら実務交渉ではギリギリとした思いを実感するわけですが、それでもほとんど物事が思い通りには動かない。

それに、よく正論をぶちかますな、ものには言い方があるだろうと諫められてきたので、こうやって主張を大声で張り上げて何か達成感を得ているような人を見ているといろいろ思うところもあるわけですが、なんというかね、SEOを必死に頑張ってPVが上がったあがったと喜んでるだけにみえますな。

もうちょっと実効性を考えたらどうなのかと、そもそも中身がある話なのかと、何のためにやっているのか見つめ直してみたらどうなのかと、なんにせよ大変ご苦労様な限りですね。とても勉強になりました。

ま、結局目的の科学技術館には入れずあげく飽きてしまった子供もたちも後ろで昼寝してしまって、外出が徒労に終わった身としては偉そうなことは言えませんが。

ようやく夏休みが終わります。

不惑

四十にして惑わず。

ネットで検索するとほとんどこれを「迷わない」こと、と解釈されているのですが、「迷わず」ではなく「惑わず」です。

似ている言葉にはこだわりたいので、以前も「迷い」と「惑い」の違いについては考えました。それから2年近く。やはり答えとしては「平常心を保つこと」ですね。

ひとつより鮮明に分かってきたことは、「諦め」「期待しない」ことで、これは楽に達成できるということですね。何事も”どうせ”と思えば、どんなことでもさざ波を立てることすらなく、やり過ごせるということです。大人になるとでも言えるのでしょうか。肉体的にも過激な運動を欲しなくなってきていますから、外から見れば穏やかにも見えます。

しかし、外界と大きな隔たりをつくって、少しの波紋も起こらないようひたすら無の境地でいることを望むことと、日々の活発な活動がもたらす、荒ぶる高波や荒れ狂う雷雨の雲海のその上、成層圏を穏やかに飛ぶ航空機のようにいる心境とでは、それこそ天地の隔たりがあるなと思いました。

当然前者のような生活ができるわけもなく、諦めとは無縁の何事にも期待の多い仕事環境で、そこからさらに新領域に突入しようと思っているわけですから、活動すればするほど心境・環境の激変に遭遇しています。

平常心を保つための具体的ソリューションとして、2年前に「おいあくま」を知ってから、念仏のように唱えていましたが、どうもそれだけでは足りないようで、さらに高高度を保っていくために、エンジンや機体や航法、運行システムの改良が必要なようです。

しかし、最近はそう考えながらも、そうやっていちいちクソ真面目に対処方法ばかり考えているからいつまでも問題が無くならいのでは?と、自身がそんな暴風雨を吹き飛ばすほどの、さらに大きなスーパーハリケーンになってしまえば話が早いのではないか?とも思えてきました。

「惑わず」とは奥が深い話です。四十半ばにしてまだわかりません。

長く書きましたが夫婦喧嘩の話です。

もしかして”オレ様”に制限をかけていることが間違っているのかも。

シフトチェンジ

クルマを変えました。最初はちょっと贅沢かなと思うこともあったのですが、1日で考えが変わりました。ほぼ毎日乗っているので実用的に乗れればいいと思ってましたが、毎日のことだからこそ快適さを損なわないように考えるべきでした。なんというかメインマシンをWindowsからMacに切り換えたような感じです。たぶんもうプリスのような実用車には戻れませんね。

震災後の一時期1年ぐらい止めてましたが、もう10年近くクルマ通勤です。理由は満員電車に乗りたくないという思いが全てです。もう今はほとんど治りましたが、通勤で満員電車に乗ると冷や汗が止まらない状態で、これでは会社に行くだけで消耗すると思ってクルマにしました。

いまとなってはもはやクルマ通勤は贅沢でもなんでもなく、単に目的に経済合理性が合えばいい話で、それこそ一時期は取締役もクルマ通勤だったのですが、通勤に便利なところに引っ越して面倒臭いということで、別にいまでもクルマ通勤で構わないのですが止めてますからね。

以前も書きましたが、いざとなればタクシー運転手になるためにという口実で暫く都内をグルグル回ってましたが、東京ってやっぱり広いですね。電車だけだと絶対にいかない街がほんとうに沢山。最近はそういう日頃近づかないところにあてどなくさまよって、ファミレスやコンビニに立ち寄っては社会見学しています。

今回もハイブリッドですが、一応走りたい人のための車らしくオートマですがシフトチェンジもできるようになっていて、気が向いたら試してるのですが、これがマニュアルシフト車とは違う感覚でゲームセンターのクルマみたいな感じなんですね。ほんとうのクルマ好きにはケシカラン乗り物なんだと思いますが。

で、よく社内でシフトチェンジという例えを、それこそ昔親父殿がガコガコやっていたのを思い出しながら使っていたのですが、そうかシフトチェンジといってもこういうソフトで滑らかな感じもありえるんだなと妙な発見をしてしまって、最近そのことをずっと考えていました。

ようやく棚卸しも片付いてきて次の段階に進みます。今までであればブログで高らかにシフトチェンジを宣言したりしていたのですが、今回はそういう対外的な宣伝は一切止めて、明らかにシフトチェンジはするんだけど、滑らかにスピードアップしてみたいと思います。

今日から切り換えます。と、書いても外からは分からないですが。

クルマを買い換えた

2回目の車検からちょうど1年。

結局レクサスにいく暇もなく、いまのプリウスもつまらない程まったく不具合もないので、次の車検までまた判断先送りだなと思っていたのですが、先日の点検時に担当営業マンが満を持して用意していた提案に、その場で「じゃ、それで」と決めました。

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まさにこれ(展示車)。

この1年、彼の熱心な説明を聞きながらも、どうなのかなぁと迷ってもいたのですが、今回の条件を聞いて、それから最後の最後、試乗してるときにクーラーの吹き出し口がレクサスとどう違うのか?を聞いて(見てか)、そのあきれるほどの日本人向け職人芸にこちらに決めました。

そして、そんなところで感心しておもしろがっているようでは、まだまだレクサス乗れるほどの余裕も器量もないなとも思いました。

ということで「いつかはレクサス」、それを数年後のお楽しみにしてまた仕事頑張りたいと思います。

溶連菌

前回のエントリーから3週間近くなりますが、そのうち2週間ほど子供がどこかから貰ってきた溶連菌がうつって体調不良でした。

溶連菌は抗生剤を飲めばなんてことはない病気です。実際、菌を貰ってきた1年生の次女は数日でケロッと回復していました。

今回は次に家内が罹患して、なんとか共倒れだけは避けなければと、気力で発症を抑えていたのですが、彼女が回復したところで気が緩んでしまったのかついに発熱、しかし原因がわかっていたので医者でも数分の検査と診断で、この熱が下がれば出歩いていいですよということだったので、その時点では気軽に考えていました。

そして、その最初の週末で何とか回復させ、月曜日から連続で静岡、宇都宮とミニ出張をこなした水曜日、本当は朝から具合がまた悪かったのですが、この日はどうしても再調整できないMTGが3つもあったので朝から晩までハードな1日、案の定帰宅すると急激な悪寒とともに39度という近年まれにみる高熱にうなされ、そこからこの3連休を含めた5日間も寝込んでしまう有様でした。

2度目に病院に行ったときにはすでに検査で陰性だったのですが、熱が下がらず最後は全身に溶連菌の毒素による発疹までできていて、医者からは免疫力が低下していたんでしょうねと言われて衰えを実感させられました。

と、ここまでは単純に体調の話ですが、寝床でずっと考えていたのは、仕事の変質に転換が間に合わなかったな、ということです。

明らかに30代とは違う求められる仕事の質と量、経営者として事業拡大のために切り換えないといけない考え方や判断、それからもっと根本的に家庭経営ですね。

別に1つ1つは分解すると大した問題でもなく、全般的には上手く回っているのですが、同時多発的に発生し複合化してくると一気に問題解決することが難しいですね。特に家庭では高校生の教育と、会社では幹部人材育成と、どちらも未知の経験で自分自身が頑張れば何とかなる問題でないことが一番の課題。

これに加えてひとりで新事業を立ち上げようともしているので、かなり無理をしているのは自覚していますが、とにかく打ち手が1つでなんとかなるような状況ではないことと、それに対処する経験値の不足を強く実感しました。

最初は心労によって免疫力が低下していたんだと考えてもいたんですが、そう単純な話ではないと思い直し、ここから引き下がるつもりも毛頭ないので、今回の事案をもう少し掘り下げて考えて、さらなるステップアップを目指したいと思います。

たまには病気で寝込むぐらいが大事故にならず済むのかもしれませんね。私が個人的に企画に関与している電子書籍関連の仕事では皆さまにご迷惑をお掛けしていますが、デジカル本体は社長が数日寝込んで出社しなくても何事もなく動くようになっていて成長を実感しました。