昨年の総括。2013年は、ひと言でいうと「大人の女性」の年で、その本質は「惑い」の連続でした。

意味深ですが、モテてモテて仕方が無いということではなく、家庭に職場に趣味の場にと、とにかくあらゆる場面で、女性の方々と喧嘩と仲直りを繰り返した1年でした。

ようやく自分なりに消化吸収できた(自分なりに自信を取り戻した)ので、ここにまとめてエントリーにしてピリオドを打つこととし、さらに次に進もうと思います。

ことの発端は2年前。

優秀なアラフォー女性がそこここに埋もれてる。2011年11月24日

結論として仮説は正しく、女性を活かす組織にすると決意して実践したことにより、業績は大変よい状況に変わりました。

一方で会社が成長したことにより、私個人はさらに上のステージを目指さざるを得なくなりました。すると途端に「どうしていいのかわからない」ポイントが増えてきました。

そこで何を考えたのか。

火中の栗を拾うと決意し、女性ばかりの組織で揉まれる決意の元に、新たな仕事に就くことにしました。

【メモ】副部長就任 2012年6月12日

これも結論からいうと大変勉強になりました。女性ばかりの組織で男性がどのように仕事をしていくのか、年末になってようやく大先輩に教わる機会を頂き、女性組織のどこがウィークポイントで、何をどうすればいいのかが「多少」わかりました(もちろん奥は深い)。

ただその代償?は大きく、それで暫くお稽古もお休みすることになってしまったわけですが、これも年末には完全復帰して上手くいきそうです(今年1年残っている任期は楽しくすると決意した)。

そして最大の難関は一番身近なところに潜んでいました。

遠因は10年以上の専業主婦を続けていた家内が外で働き始めたことです。そもそも外で働くように勧めたのは自分なのですが、お互い環境の激変に翻弄され、新しい枠組みを作る擦り合わせに時間がかかりました。

今年は平成26年ですが、家内と出会ったのは平成元年。ということは、すでに四半世紀も一緒なのですが、それでも昨年の喧嘩数は過去最高となりました。

この点において、よくまぁ我ながらそんなエネルギーがあるもんだと思いましたが、とにかく毎週ガチンコでやってました。大晦日まで。

しかし、そんなときにはいつも松下幸之助翁の「社長は多少哀れな方がいい」という言葉が救ってくれました。どんなにこちらが正論であったとしても(あればあるほどか)、謙虚に誠実丁寧な対応を繰り返しいると(それは無条件降伏をするということですが)、最後は哀れに思うのか、多少話を聞き入れてくれることがわかりました。

夫婦喧嘩で妻が謝らない理由 2013年5月2日

正直に告白すると、「いったいいつになったら元本返済が始まるんだ!」と去年2回ぐらいぶち切れましたが、もちろん無駄な抵抗に終わりました。

そもそもつい最近まで聖人君主にはほど遠い暴君だったので、いつも平常心でいられるわけもなく、結果的に1年たったところで明確な対策はよくわかってないのですが、年納めの喧嘩で本人から教えてもらった対応策はなるほど大変有効かもしれないと思いました。

それは「受け流す力」を備えよというもの。

暴君の汚名を返上すべく、当初から器を大きく持とうと「受け入れる」ことを頑張ってました。しかしこれは前にもちょっと書きましたが、いい夫やいい父親をやればやるほど問題がこじる一方です。

客観的に見れば理由は明白で、こちらが完璧にやればなるほど、相手も追い込まれることになるわけです。途中でそれに気付いてからは「ちょうど良い塩梅にしよう」としていたのですが、それがまた根本的な対策になっていませんでした。このあたり相変わらず我ながら完璧主義です。

ということで、ようやく「受け入れて受け流す」という回路が自分なりに繋がりました(つくづく自分自身で分析しないと納得できない面倒な性格だと思う)。

しかし、何故そんなにこんなことを頑張っていたのかといえば、有効な外交政策があれば戦争を(冷戦もだ)しなくて済み、その莫大なエネルギーを全部平和的生産に回して高度経済成長を実現できる、といった吉田茂のような新ドクトリンの確立を考えていたためでした。

ということで、「受け入れて受け流す」平和外交戦略を手にした今、大人の女性を巡る「惑い」の旅はひとまず2013年で終わりを告げ、心境としては前回のエントリーで書いたとおり大変晴れやかです。

今年は仕事に邁進させてもらった上で、沢山の出会いのあった皆さんと楽しく過ごしたいと思います。

追記:

この「受け流す」政策は、たぶん中韓への外交政策にも有効と思われるけど、それを実行できる優秀な女性政治家がいないのが今の日本の不幸だと思う。