師匠から「入門してもう丸6年になるわよ」と言われてビックリしました。まだ3年ぐらいしか経っていない感じです。

社中の紅一点ならぬ黒一点。これまでも男だというだけで有り難いことに優先的に半東も亭主も経験させて頂きました。その上、来年から青年部役員だけでなく、親支部の幹事にも任命されてしまい、こりゃもう大変だと思いながら先生の言われるがままにやってきました。

しかし、そこはやはり巨大な裏千家。下っ端とはいえ、役目をやりたくてもやれない、なりたくてもなれない同門の方もいらっしゃるわけです(という話を聞きました)、指名頂いた以上は謙虚にしっかりと役目を果たし務めなければ、いい加減なことでは推薦してくれた師匠に迷惑をかけるだけでなく、多くの人を不愉快にしてしまうと思いなおしました。

そういうこともあっての年初の恒例行事、社中の初釜でのお役目です。毎度のように運転手ですが、師匠から「また半東でも亭主でもやってみたら」と仰って頂いたいところを「今回は水屋仕事をさせてください」とお願いしました。

来年の青年部の役員として他の社中の方々とお会いする度に思うのですが、皆さん立ち居振る舞いが立派な上に、当然日々の仕事はきちんとやった上で平然と役目をこなそうとされているんですね。そういう姿を見ていると、日頃から大変だ大変だとこぼしていた自分が恥ずかしくなってきました。

これから役目としてお茶会の手伝いなどもでてくると思いますが、これまで亭主だ半東だと表の役目で嬉々としていた分、水屋仕事を地道にこなすことがなかったので俄然マズイことになったぞと思ってきたわけですね。水屋仕事とは準備や応接、片付けの裏の仕事です。

実際のところ、茶道は多少お点前ができるようになったからすごいという訳じゃないと、だんだんわかってきました。所作や作法を学び、花に器、書や金工、禅語に菓子などなど、日本文化を総合的に学ぶという意味はあります。しかし、最近もっとも強く感じるのは、仕事の段取りや人間関係の修練の場であるということです。

茶会となれば、その準備や後片付けたるや、関係者の数も含めてほんとうに膨大なものがありますし、そこに出されるお道具は大変高価なもの、それを取り出して片付けるだけでも大仕事です。そして当日の水屋は、表の優雅さとは打って変わって、まさに沈黙の戦場。

最近は、日本人がモノ作りが上手いとされてきたのも、こうやって何百年も連綿と仕事の品質を問い、段取りをつける文化がしっかりと伝わってきていたからこそなんだと感じています。同時に多くの人が今でも下働きの大切を大事に考えるのも、そこでの経験から醸成される暗黙知に、大きな価値があることを知っていたからだとも思います。

社会人になってから、若者だからこその仕事ということでパソコンやネットに近い仕事をしてきましたが、このところ痛切に感じるのはそこにある底の浅さですね。儲からなくなってきて一気に、いままで気鋭の若者たちが言ってきてたことが、単なる綺麗事に聞こえるようになってきました。

戦後日本がいよいよ行き詰まってしまったのも、水屋仕事といった下積み、下働きを軽視してきたことに原因があるんじゃないかと自戒を込めて考えています。

最初に適切に仕事をしなかったら、その仕事は成し遂げられません。型を覚えることができなかったならば、間違いなく型破りにはならないということですね。