研究者を目指していたころ、教官の先生方のうち名誉教授の方々には、戦地に行った方や海軍兵学校卒業の方がいらっしゃいました。もう20年近く前のことですが、先生方は当時70歳前後だったと思います。兵学校卒業直前に終戦になって戦後苦労して40を過ぎてから研究者の道に進んだといった先生がおられました。

指導教官ではないのですが、当時他の先生方が全く見向きもしないパソコンを熱心に導入されていて、私がパソコン(当時はDOS)を教えるかわりに雑誌寄稿論文の指導をしてもらうという取引でお付き合いさせて頂いていました。

実はずっと烏山近辺に住んでいるのも先生のお宅がそこにあって通っていたためで、パソコン書の出版社に就職したのも先生とのお付き合いでコンピューターの方が面白くなってきたためでした。

辞めるときは指導教官の先生とは随分ぶつかりましたが、名誉教授の先生方からは「研究はいつでもできる、食べられる仕事につけるならそちらを優先しなさい。僕も研究を始めたのはね・・・」といった言葉を頂いきました。今になってそれらの先生方の言葉の有り難さがわかります。お陰で今の仕事がありますし、本当に40過ぎてまだまだこれからスタートだと思うことばかり。

また水上戦闘機のパイロットとして南太平洋の戦地で活躍された、まさに戦地帰りという言葉が似合う、本当に厳しい名誉教授もおられました。今でも忘れられないのは、研究者として大成したいなら戦乱の世を選べという話。戦国時代、幕末、近代は研究者の数も多くて競争も激しい時代です。恐らく細々とニッチなテーマを選んで、ちまちまやっている学生に発破をかける意味での言葉だったとは思いますが、今まさに先生方が苦労された戦後の混乱期のような時代となって、これからどういった道を選択すればよいのか、何か指針のようなものを、当時すでにもらっていたような気がしています。

そんな昔話を思い出したのも、今日のプロジェクトミーティングでカウンターパートの方が、前例なし制約だらけ、その上妨害や混乱を巻き起こされている状況をものともせずに、トップ中のトップを目指し戦場を絞っていきましょう!という超前向きな話となったためでした。制約上等、正面頂上突破です。頑張りますよ。

最近はランチェスター戦略で編プロ事業も完全復活させたので、そう言った意味でも次の作戦も自信があります。