海外には「中年」という概念がない?

先日、10年前に一緒のチームで仕事をしていた後輩たちと、久々に全員揃って飲みました。

「あの頃から、全く変わってませんよ!」
「あ、そう?(嬉)」
「ま、それは当時から老けてたってことなんですけどね。あははっ」
「な、・・・。」

はい。確かに20代後半で30代中盤ぐらいに思われてましたよ(笑)

そうやって最近も年齢、年代について強く意識していたわけですが、昨日、掲題の中年という概念が海外にはないという本を店頭で見つけて読んでいます。

その本によると要するに日々を楽しく元気に生きている人は老けないってことなんですね。ホントにそうかもしれません。実際のところ日本におじさんが多いのも、元気がない、ちょっとお疲れ的なイメージをみんなで共有しているからなんじゃないかと感じます。

いよいよ後厄も終える身としても、これまでブログでそういったことを書きながら、過度に今の年齢がどうだからということを過度に気にしすぎ、横を見すぎという気がするな、と内心では思ってはいました。

書店でも年代別にこれをやれ、あれはやるな本がたくさんあって、自分もよく読みますが(ああいう本って著者が出版人だったり元Rの人だったりするんだよね。そこから間違ってる気がするんだよね最近)、やはりそうやって何かと比べながら、自分はどうかと判断して、出る杭にならないようにする同調圧力を感じようとしている(感じたがっている)んだろうなと思います。

でもそれって、単純に大人はこうでなければと思い込んでいるだけだったり、実は今の自分に自信がなかったりするだけだったりして。

確かにこれまでの右肩上がりの成長時代では、黙っていても誰もが年功によって、働き方の転換を求められていたわけだから、ああいったマニュアル書は一定程度の意味があったんだと思います。しかし、そういった状況も、最近お付き合いしている30代の若手を見ている限りでは、すでに終焉を迎えているなと感じます。それだけ、今の30代前後のなんと多様性のあることかと。

またそれは30代に限らないことで、実は先輩世代でもその多様性が求められる時代になっているように思います。アラフォーの元アイドルでなんでこの人はずっとこんなにかわいいのかと思う人もいれば、ネットでも「劣化が激しい」とか書かれていたりする人もいて、そういう点でも年齢を重ねるから老けるという単純なことではなくなっているのが分かります。

男性にしたって30代でも、あなたのオヤジ度には脱帽という人もいれば、60代なのに足下にも及ばないぐらいパワフルな先輩もいらっしゃいますし。

先日、現在取り組んでいる電子書籍の対談本で、「え?そんなにラフに依頼しちゃってホント大丈夫なの?」と思うような30代前後の無謀と思える依頼行動に、「ええっ! そんなんでホント引き受けてくれるんですか!!」といった40代中盤の器の大きな方のやりとりがありました。

でも、これは冷静に考えてみると、無謀でも器が大きいわけでもないんですね(いや、実際多少はあるとは思うが)。それが社会から求められていることであり、双方にとってやりたいことであるならば、そして今すぐ合意し実行できることなのであれば、別段形式張った手順などいらないわけです(それこそ敬語だってそう)。

そもそもグローバル化ということで、すでに言葉や国境を超越するような時代になっているわけですが、年代なんてものは、そもそも日本人のさらに特定の人たちが勝手にそう思っているだけのこと、それに何の意味があるのかと。これは頭では分かっているつもりでしたが、本質を全く理解していませんでしたね。

対談で日本にはもの凄い潜在能力があるという話になりましたが、そういった自己規定を外して考えてみればほんとにいろいろありますね。そして、ほとんど多くの人がそれを自覚していないし、そういう行動をしてはいけないと思っているようです。

現職大阪府知事が自ら府民のためになると考えたビジョンを実現するため市長選に乗り出していますが、あれなんかは象徴的なリトマス試験紙になるかと思います。橋本知事を「独裁」だからケシカランと感じている人、あなたは目出度くも滅び行く旧日本国体制側です。

トップリーダーは独裁である必要があるというリーダー論を知らないならまだしも、今の日本で、それも破綻寸前の地方自治体で独裁(というのはヒトラーやフセインなんかをイメージしてるでしょうけど)体制しいて彼に何の利点があるのかちょっと本質を考えてみればわかることでしょうに。メディアリテラシーというのはこういうところにも問われる問題ですね。

というわけで、今日を限りに、厄年だから、40代だから、オッサンおじさんだからと、そういった枠組みで自分を規定するのを止めます(今更だけどさ)。

国境や年代の全く関係無い社会ってどうなっていくんだと思ってましたが、どうやらとてつもなく面白い時代なんだなと、ようやく身体感覚で自覚できました。

世の中を楽しく面白く、そして良い方向へ変えていく側で頑張りたいと思います。

← 過去の投稿へ

次の投稿へ →

3件のコメント

  1. 私は生計を立てるために主張し、私が良い生活を得るために、穏やかだ!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください