“私は45歳”

実際はまだ41歳です。

いきなり何のことかというと、元旦の日経新聞の一面の特集記事のタイトルです。「三度目の奇跡。第1部 私は45歳」。

1960年代初めには20代後半だった国民の平均年齢は2010年の今や45歳。1955年に8927万人だった人口は04年に1億2777万人になり、これをピークに減少を初めており、「人口減少と少子高齢化の同時進行」、「年金など社会保障制度の破綻に現実味」、「10年を超える長期デフレ」、「20年後にはGDPが中国の4分の1に」、「国・地方の債務残高、数年内にGDPの2倍に」とこれだけの課題を一度に抱えた国はないそうです。そういう国難を幕末、敗戦に並ぶものとして、明治維新や戦後復興に続く第三の奇跡があるのか?という問いかけの連載が始まりました。

私自身は一昨年辺りからずっと、まるで敗戦の焼け野原のようじゃないの?(いや実際には知らないけど)と思ってやってきているので、今更なんだという感じではあるのですが、めでたいはずの元旦の新聞の一面が、まるで先行き不透明と書いてあって、いよいよ現実を直視しなければならない年になったんだろうなと思いました。2011年が去年よりもさらに商売としては厳しい状況になるのはもう間違いないと思います。

ただ明治維新や戦後復興が本当に「奇跡」なのか、学者じゃないのできちんと勉強しているわけではないですが、感覚としては奇跡なんかじゃないと思っています。戦後復興にしても戦災で激しく国力が落ち込んだとはいえ、戦前から一貫してずっと右肩上がりで、例えば目に見えわかるものは昭和30年の写真と昭和14年ぐらいの町並みの写真を見比べてもそう変わらないです(要するに空白の15年があったということですね)。

そもそも高度経済成長期の日本がスゴイっていうのも、戦前でいえば極東の四等国から一等国の大日本帝国へといった流れと相似形だと思いますし、幕末から明治にかけては様式は激変しても、勤勉かつ清潔な日本人の振る舞いや考え方みはそう変わっていないと思いますし、国力にしてもそもそも変革の素地となるものは江戸時代にはすっかり揃っていたわけで、そういうように大局的に考えるとこの空白の20年にならんとする時期も、ちゃんと準備して勉強を続けてきていれば何の問題もないと私自身は考えています。まさに今、戦後の焼け野原でもたくましく小さな修理工場で自転車にエンジンを付けて売っていた本田宗一郎のようになりたいと思って、今は小さな編プロを経営しています。今は小さいけどいずれ大きくなるようにやっているつもりです。

そういう意味では、真に人があって国があるわけで、昨年もいろいろ方にお会いすることができましたが、問題意識高く、それぞれの分野で切磋琢磨している人に良いご縁をいただいていると感じ大変光栄に思っています。逆に言うと、将来展望を持たず、単に権利意識に強く現状維持に汲々としているような人は、周囲から意識的に排除していっていたのですが、今年もその動きをさらに加速させようと思っています。

デジカルとしては、今年2011年は、長らく使っていたロゴマークも一新して、創業来ずっと追い続けてきている「新しい出版」についてきちんとステージに立とうと考えています。詳細説明は別の機会に送りますが、あなた出版社のサービスを立ち上げたのも、メディア事業部を作ってSEIHAプロジェクトを進めているのも、一切合切、私の中では新しい出版社の種だと思っています。なかなか理解されがたいのですが、自分が思い描いている将来の出版社のイメージは、編集者が沢山のコミュニティメディアを作って、そこから直接良質な出版物が読者の手に渡っているような光景です。そこは返品はあっても「返本」がない世界。ベストセラー、ミリオンセラーでなくてもしっかりと売れる本が作られる世界のように考えています。

ウェブメディアも作って本も作る。非常に困難な仕事だけど、とてもクリエイティブな仕事になるだろうと自分では楽しく考えています。が、それを本当に実現するためには、より深くこの事について研究を深め実践して技術を持ち、かつ未知の仕事でも勇気を持って取り組むような人が必要です。今年はこれらの人々にデジカルの仲間になって貰えるように、自分は社長としての研鑽を積みたいと考えています。

去年までは割と経営者としての雇用という問題を考えてきました。その前には心理的に弱い社員のことなどもいろいろ考えてきました。しかし、そういう大きな経世済民を考えるのは政治家の仕事であって、経営者たるもの自分たちの商売を考えることが何より大事だと思い直しました。それこそ本田宗一郎が執念を持って追求した技術力や松下幸之助の販売力を手本として、愚直に会社を強化していこうと考えています。

それにしても自分がまだ国民の平均年齢に達していないということに驚き、かろうじて若い方に入ってしまうわけですが、あ、そうかそんなにオッサンらしく落ち着かず、もっと「若者」らしくやってもいいってことなんだなと妙なところで得心していて、もう一回ぐらい周囲に心配かけまくってでも自分のやりたいように好きなことしようと思いました。

と、思ったのできっとやります。迷惑かけますので最初に謝っておきます(笑)

最後になりましたが、新年明けましておめでとうございます。

本年は「今年こそ、現実を直視する」ことで会社としても個人としても、本当の意味での跳躍の年になると考えています。

本年もどうぞよろしくお願いします。

““私は45歳”” への4件の返信

  1. ピンバック: KATSUKI Noboru
  2. ピンバック: 樂典フィードバンク
  3. ピンバック: イシカワタケル

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