「編集というのはテキスト(や図表や装丁)をより良くすること」と考えていると「iPhoneアプリを作る」のが出版社の仕事という発想は出て来ないと思います。

新聞社も出版社も、おそらく現在、主として「電子出版というのはテキスト(や図版)を電子化することである」という方向から考えていて、「ネット上での自社のキャッシュフローを最大化する」という観点からはあまり考えていないんじゃないかと思います。

ライトノベルについての考察(仮説)と電子出版への示唆 | isologue

まさに今自分で考えていることを言葉にしてもらえた感じがしました。また、どうして最近の電子出版の議論に興味が持てないかもよくわかりました。それは「電子出版というのはテキスト(や図版)を電子化することである」ことにもう新しさを感じないためです。すでに去年の夏に自分でそういうことを書いてました。まー、偉そうに語ってます(笑)でもこの想いは全く変わりません。

ということで、iPhoneでネットの情報を読むのはもう自分の中では読書です。出版業界では電子書籍の対応やネットの対応などを考えるのに必死ですが、もはやコンテンツのデジタル化を議論する時代は終わったと思います。

読書をするのに本や雑誌のカタチはもう必要ない

あくまでもこれは自分の体験的な発想なので、これを基準に議論をするつもりは毛頭ないので、それは違うと言われたら、あそうですか。としか思いません。

一方でこのところ体験的な読書についていろいろと考えています。磯崎さんのブログを真似て書いてみると、うちの次男6歳がディアゴスティーニの「週刊そーなんだ 歴史編」にものすごい勢いではまっていて書店に行くたびに買って上げてます。最初は、ちょっと言葉が遅かったので本に興味を持ってくれて嬉しいなと思って買い続けていたのですが、様子をみていると買うたびに一生懸命丁寧にファイリングして、ひらがなしか読めないのに毎日取り出しては嬉しそうに一生懸命眺めています。

これだけだとファイリングしたりまんがだから一生懸命になっているだけだろうと思われるかもしれませんが、つられて買った同じくディアゴスティーニの「週刊江戸」を見てちょっと唸りました。唯物史観の歴史教育で学んだ江戸時代なんて百姓一揆の暗黒時代、そういう学校教育を受けた世代にこれは新しく感じるだろうなぁと思いました。いや、そんな堅苦しいことではなく、単純にムックとして構成や誌面が面白いと感じたわけですが、と同時に正直いまの自分には「そーなんだ」や「江戸」は作れないと思いました。

いわゆる識者からはこの程度(という言い方はふさわしくないかもしれませんが)の情報量でも一般読者には十分に満足できるものが作れるんだなということを感じました。これってもう本じゃないけど、普通に売っている本以上に、もしくはネットで流れている情報以上に、いいものだと感じています(だから買ったわけだ)。

ということで、この点において磯崎さんが記事でライトノベルのことを取り上げているのも、今何を作るべきなのかを考えたときに非常に示唆に富むと感じました。そして「ネット上での自社のキャッシュフローを最大化する」という点を考えると、ますます今の電子出版の議論に流されないようにという想いが強まっています。

「体験」「楽しい」「簡単」「視覚的」「教養」といったところがキーワードとして頭を巡っていますが、この辺りはハブメディアSEIHAで実現したいと思っています。もちろんネット上で自社のキャッシュフローを最大化するために。