例年ブログやFacebookページなどで夏季休暇を頂きますなどと事前告知していたのですが今年は止めました。

もともと店舗や個人向けサービスではないことが大きな理由ですが、現場は現場の判断で任せると決めたことと、そもそもいうほどの大事業をやってるわけではないしなと思い直しました。

加えて、個人的に告知調整したところで完璧に調整がつかないし、業務連絡はオンラインなので、そうならば休暇中もスマホ片手に吸収した方が手間が少ないだろうと考えです。

結論からいくとかなりよい具合で休め、父親・夫業の残債を解消できた上に、ずっと先送りとなっていた自分自身の仕事も進めることができました。

そう考えてみると、ここしばらくは非常に生産性の低い状態だったなと振り返っています。どういうことかというと、動き回り走り回っているほどの成果が得られていなかったということです。

今年は2年ぶりに妹夫婦が帰国して2ヶ月丸々夏休みの義弟からその実情を聞く機会がありました。教師ということもありますが、どうしてそんなに休めるのかと以前から不思議に思っていたので今回はかなりつっこんで話を聞きました。

話をきいているうちに、私自身がいわゆる「働き方改革」に惑わされていることに気づきました。もともと経営者は24時間365日無休が前提なのに、なぜ従業員と同じような働き方に合わせようとしているのかということです。

何がそうさせているのだろうと考えてみたのですが、自分自身で大満足と感じる点と、その時の合格点が同じでなければならないという思い込みがあって、常に満点を目指さなければならない、という考え方が根底あることに気づきました。

これは経営者としてのみならず、ビジネスパーソンとしても父親としても夫としても、はたまた長男としても常にパーフェクトを目指すという、ある意味傲慢な考え方ですね。

そのため、この考え方が何事も常にハードルを高くしなければという考えに繋がり、一方でその思いはあれど、実情としてはそのハードルの高さ(設定)が現実的にどれだけであればいいかまで見極めができておらず、いきなり高いハードルを超えられるわけもないのに(わかっているのに)、超えなければいけない、という思いだけがどんどんといわば焦りとして先行していました。

裏返すと常に何事にも「不足」と感じているわけですが、このときに不足しているからそれは全部自分でやるしかないとの思い込みに繋がって、こういうことをやっているのを周囲からみれば、「あれもこれも香月がやってくれるのだろう」と思うわけですね。

となるとまた休めないという思いが募るのに、休まなければならないと自分で自分を追い込むという。いやはや、任せ下手は自認していましたが、見事に自分一人で茶番をやっていました。

ということで、しばらくこの夏休みのペースを継続してみようと考えています。永遠の夏休みとはいいませんが(それはそれで面白いかも)、本格的に秋になるまで夏休みは延長します。

夏休みの宿題は、知足安分の「知足」の精度を高める、といったところです。