「ほぼ」できたは何一つできてない

「あの件は出来ている?」

「ほぼ出来てます」

「そう、わかった」

(数日後)

「で、あの件はそろそろ出来ているよね?」

「ええ、少し難航してますが、ほぼほぼ出来てます」

「そう、大丈夫なの?」

「大丈夫です」

「そう、わかった」

(数日後)

「あの件、もう出来たよね?」

「はい、出来てはいるんですが…」

「どれ、見せて」

「これなんですが、このあたりがどうしても難しくて、このようにも考えたのですが…」

「なにこれ、全く出来てないじゃないか!」


一体誰が悪いのか。

「ほぼ出来た」を完成が見えているとして見逃す(そうあって欲しいと願う)方が悪い。

育て直し

次男が小学校を卒業しました。

デジカルと同じ2003年10月生まれ。創業のドタバタで病気をさせて、いろいろ不憫な思いをさせました。その影響で言葉がおそく高学年の勉強についていけないのではないかとも言われていましたが、無事中学に進級です。

彼の努力もさることならが、この6年、毎週通級に通わせていた家内や先生方の丁寧で手厚い指導のお陰です。自分はたった一度しか見学していませんが、先生からはまるで乳母のごとき深い愛情を感じました。

上の子供達はいつのまにか中学に入って、いつの間にか高校生になっていて、ほぼ全く勉強は見てあげてないのですが、さすがに彼には時間をみつけて苦しんでいる科目を手伝ってあげました。

やはり小さい頃に一時期耳が聞こえなかったというハンディはいろいろなところに影響をしていて、その都度ぶち当たる問題の根っこまで戻っての育て直しです。

それなのに卒業式にはやはり出席する余裕ができませんでした。

もちろん無理に出ようと思えば出られないわけではないのですが、ここで休みを入れると会社の成長が大幅に遅れる、という判断で当日の朝礼に出ることを優先しました。

それほどまでして、いま何をやっているのか。

こちらも育て直しです。先日席替えをし、昨年末に初めて作った社長席を離れ一番末席に戻りました。この席は、当社の生え抜き社員たちのいる席です。

この1,2年で会社も成長しましたが、彼らを次のステップに進級させるためには、遠くからあれこれ指導しているのでは間に合わないと気付きました。

それというのも本来このような現場を任せるべき取締役二人もまた、40代となって仕事の進め方の壁にぶち当たっていて、彼らにも直接、自分の経験則を伝えることで成長痛を乗り越えてもらい、次の段階へと進んでもらおうと考えているためです。

この先、どうすれば上手く成長させることができるのか、私の中では見通しはついていますが、それに部下の気持ちや知識がついていかない。そういうときに経営者としてどう判断していくのか、ということです。

今の判断は、自分自身がまだ20年近く現役であること、5年もあれば会社は様変わりを経験したことから、彼らに付き合って、会社としての基盤をこの際しっかり作って、それから一気に成長させようという考えです。

順調に5年経つと、次男も今度は大学進学をどうするかの問題が出てきます。おそらく会社の方もまた新たな成長の壁にぶつかるとは思いますが、おそらく、ともに成長して乗り越えたという背景を共有できれば、今よりもさらに状況を俯瞰してみることができ、次なるハードルはさらに低くみえるのではないかと思っています。

幸いなことに?その5年後に次女が小学校卒業式。そのときには大手を振って会社を休んで出席できるようにします。

自縄自縛に陥る危険は感じている

「楽しく創造的な仕事で豊かな生活を築く」の理念で、独自資本の独自事業開発で売上規模を幾何級数的に伸ばそうと考えています。

相当なハードルだと自認していますし、実際にあれもこれも、どれもそれもやるべきことばかりで、かなり強く意識して自縄自縛に陥らないよう注意しています。

洞察力や構成力には結構自信がありましたが、すでに一人で抱える限界は昨年末から強く感じていて、これに対してビジネスマネジャー人材を採用する計画を持っていますが、進めているうちに一昨年からのV字回復戦略があまりにうまく行きすぎて、ワンマン体制からの転換ができていないことに気づき先月はずっと会社に籠もって手を打っていました。

すでに社長室を別に借りたり、実務をどんどん手放したりと、物理的な距離を作ることやリソース開放を先に進めていましたが、仕込んでいた企画の進捗がそれを上回って先行していて結果的に転換進捗が遅れ気味になっていました。

ただ、強固な岩盤だった幹部の意識改革も、今月になってその硬い岩盤にバキバキとヒビが入って光明が差し込んできました。一気に突き抜けて経営陣を構成します。

会議は「前日」と「翌日」が大事

社内プロジェクトや経営面の重要課題が目白押しで、ずっと引きこもり状態でした。気づいたら早くも1月が終わろうとしています。

社員育成を第1の課題と取り組んでいますが、全員経歴や立場が違うので個別の取り組みだけだと時間がかかります。そこで会議を全体レベル底上げの場として利用しています。

これまで、社内外でいろんな会議にいろんな立場で参加してきましたが、どんな時も最初に参加する姿勢としては「率先」が大事だと考えてやってきました。

もっともなんでもかんでもオレガオレガとやっていると白眼視されますし、その組織にとってメリットある提案を含んだものでなければ「私はこう思います!」といった青年の主張ではアホだと思われるだけです。

ここぞというところで、さらっと提案の形で意見表明する人は仕事ができますよね。たまにそういう人をみると見習いたいなと思ってみています。

会議にはいくつか種類があると思いますが、一番大変なのはやはり責任者会議です。数字は嘘つかないですから。きっちり数字を追いかけていると嘘を付いている人はすぐに分かってしまいます。

そういう場合は怒鳴ってましたが、最近はエネルギー浪費という観点から、見込みの無いものには怒鳴らず静かに切り捨てるようにして、今後は「静かな方が恐ろしい…」のレベルを目指そうと思っています。

この話題いろいろ書きたいことがあって脱線気味ですが、本題に戻して、会議で大事なことは「決めること」です。

そして決めるには材料が必要なのですが、事前資料を準備することより「事前に考えておくこと(決めておくこと)」が何より大事だと思います。そしてその判断をきちんと自分の言葉で説明できるかどうか確認しておくことです。

次に大事なことは「決めたことを直ぐに実行すること」ですね。実行しないと何が生じるかというと、次の会議の直前に言い訳を考える癖がつくんですね。これは本人にとっても評価が下がるだけでなく、会社としても大変な損失ですね。

つくづく会社というのは頭脳戦だなと思う毎日です。いかに考えるエンジンが強力かどうかで、あっさりと勝敗が決まっているように思います。

これまでは一人奮闘して頭を絞っていましたが、それは続けるにしても、今後はもっと積極的に優秀な人を仲間に加えていくことと、社員の考える力の底上げをしておかないとならないなと痛感しています。

ということで、これからしばらくは口酸っぱく会議は「前日」と「翌日」が大事を繰り返すことになるのだと思います。

ちなみにEvernoteはこのエンジンのターボになるのは見えていて、早くターボをフルスロットルでかけたいのですが。

元来考え事は苦にならない方だったので、人に考え方のコツを教えるのは難しいですね。

ブログの更新頻度が落ちている理由

一ヶ月に3つも記事を書かないなんて初めてのことです。

関係者の秘密保持のため書けないことが増えていることが一番の理由ですが、いませっせと布石を打っている内容を、わかりやすく伝えられない文才の無さを痛感しています。

このブログを振り返ってみても、更新頻度が多かったときは危機的な状況で、要するにシングルイシューだったので書きやすかったということですね。

それにしても日々様々な出来事があって、その都度考えていることをスパっと書き下ろせないのはフラストレーションです。

マスコミの綺麗事としか思えない時事評論を拾い上げ、さらに綺麗に磨きをかけたコメントを長々と書いたりしている人を見ると、その脊髄反射的な対応も含め非常に幸せそうで羨ましいなと思います。

ということで、最近記事更新が少ないのは、便りのないのは良い便りのようなものです。

 

陸軍参謀大佐 松谷誠

今年の夏もいろいろと番組をやってましたが、薄っぺらなものばかりで印象に残るものが少ないなか、この番組のエピローグが胸に突き刺さりました。

調べたら松谷大佐が当時40代前半ということもわかって、もう一度番組見直してキャプチャ画面取って見返しています。

組織でことを動かすことがどういうことなのか、ことを成すこととはどういうことなのか、自社に留まらず関与する関係者が多岐にわたるプロジェクトが増えてきて、ついつい「こうすればいいのに!」「そこでなんで!」と、そういう思いが先立ちそうなときに見返しています。

組織で活動してことをなすということは、単なる我慢や辛抱ではないんですね。寛容、忍耐、滅私、孤独、慎重、決断。全ての要素が必要だと。なるほどと。

しかし松谷大佐の当時の活動を考えれば、国会でデモしている人間をニュースで大々的に流すことに大した意味がないことを改めて感じます。

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46歳になりました。

例年の振り返りポイントとして。

40になったかならないかぐらいに、「45歳まで」というゴール設定をして、公私ともに取り組み方を変えてきました。この5年近く、周囲との軋轢は尋常ならざるものがありましたが、結果達成率が9割に到達し、十分すぎる成果だと思うので、いろいろあったことも結果オーライとし、すべて過去の話として流し去ることにしました。

この46歳の誕生日を節目と考えて、次は10年先を見越した計画を実行することにしました。事業の発展拡大は言うまでもないこととして、今後は新規性と持続性を常に意識していきたいと考えています。新しいこと、特に価値創出を続けることは至難の業ですが、その素地を作るところからしっかりと。

また振る舞いも変えていこうと思っています。ひとつ固く決意していることは、目上の人から仕事を貰うような仕事はしないということ。要するに短期的な売上を考えた営業はもう止めたということですね。もちろんトップセールスは今後も全開でやりますが、大したこともないのに、なんだか偉そうにふんぞり返っているおっさんやおばさんに合わせて付き合っている暇はもうないなと思ってます。

これ単純に年上の人と仕事をしないということではなく、感性のない人と交わることは時間の無駄なので止めようということで、年配の方でもキラキラしている人には、こちらから何か貢献できないか模索して一緒にできる仕事をつくっていこうと思っています。

あとは普段の靴をスニーカーにすることに。ほんとうはスーツや靴も新調してスタイル変えてみようかなとかも思っていたのですが、最近書店で並んでいる一流の人間は的な本に、スーツとか靴とか時計とか、四六判のビジネス書で何気取ってんの格好悪と思えたので。これも単なる反抗期ではなく、スマートかどうかは見てくれじゃなく自らのビジネスの成果物で示すという意気込みです。

 

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過去記事:

42歳になりました。

44歳になりました。

45歳になりました。

脱「売れてます!」宣言

やらないよりはやった方がまし程度のプロモーションしか出来ていませんが、やっててつくづく思うのは「売れてます!」という売り文句の空しさですね。

確かに本当に売れているので嬉しくなって、記事にしたり呟いたりするんですけど、これって「だから?」ですよね。もちろん一定の効果があるので全く無意味とは思いませんが、やはりやらないよりまし程度。

結局、いいものは放っておいてもそこそこ売れるという単純なことの証明でしかなく、自らの販売能力の無力さをただただ実感するだけですが、開発販売戦に乗り出すと決意したので、ここは開き直って突き進みます。そのうち何かわかると思います。

課題山積ですが、もう一度原点に立ち返って「そこそこ」売れることを喜ぶことを止めることから入ります。もの凄く売れるものを作ることをやらないと販促頑張っても無意味。なので「売れてます!」と書くことも止めます。

そして今月からステップを一つ繰り上げて、創る目標のゼロを1つ増やすことと、ここ数年まともに企画書を書いて仕事をスタートさせていなかったので、企画書を書く仕事を厳選して再開します。

もっとも企画書書かないと始まらない仕事は、早晩なくなると思いますけどね。そう思っていたら先日とあるMTGの席で、実績のあるデザイナーの先達もそう仰っておりました。

紙の企画書を前にして会議したり稟議したりしてたらもうね。天を仰ぎ見ますよ。メールも古いです。スマホのチャットアプリで決裁する時代ですから。

 

シルバーウィークを改造することにした

熱心に調べたわけではないですが、シルバーウィークというのは、ゴールデンウィークが提唱されたときと同じころに設定されたらしいですね。ただゴールデンウィークと異なり定着せずにいたところを、2007年に休みを取れない日本人のため、当時の与党が本格的に後押しして普及したと。

もはや祝日とは何か、休日はどうあるべきかなど、本質的な視点が抜け落ちている上に、夏期休暇を取ったばかりなのにまた連休で、そもそも生産性を上げる概念の薄い現代の政治家に期待する方が間違っているんでしょうけど、経営者としてはまったくもう面倒なことしやがってという感想です。

こういう決められた連休がなければ、いっそのこと夏休みを連続2週間にしようとかできるんですけどね。ということで、1人あたりの生産性の追求の過程で、ドイツ人の仕事について研究していました。なんで彼らは1年に150日も休めるのかと。

ある本を読んでみると見事なくらいドイツ人に比べ日本人の生産性が悪いことがわかったのですが、よく調べてみると、それはサービスとトレードオフになっているんですね。さらに社会保証負担が大きいので個人の可処分所得も少ないと。

確かにドイツ人に比べてダラダラ働いているのかもしれないけど、その分ドイツでは考えられない(日本人にとっては当たり前の)サービスを甘受できると思えば、どうだろう、やっぱり今の日本の方がいいのかなぁと思いました。

というわけで、ひたすらに生産性を追求することを止め、程よくアレンジしてやってみる方法を考えることにして(そこは小さな会社の利点を最大限活かし)、連休を勝手に改変することにしました。

シルバーウィークの最終日9月23日(水)秋分の日は出勤日にして4連休、そしてその代休を11月2日(月)にして11月の頭を4連休に。

実は9月末に会社としてはひとつ大きな転換点となるサービスを開始します。ただその準備が滞り気味で、社員の意思統一と士気向上とで合宿でもやろうかと考えていたところ、どうせ中途半端になる週半ばの連休の最終日を研修日にして、その代休を使って新しい連休を作るという我ながら画期的なアイデア。かな。

自画自賛。

雑草

昔、萩原さんと「我々は雑草だから」という話をしてました。元々編集者からデザイナーや経営者という転職で、何の権威も資格もない上にスタート時点は実績ゼロ。名も無くしぶとく体当たりしか出来ない、ぐらいの意味でした。

当初から取引先は版元が主ですが、マンションの1室でやっているようなところから1000億規模のところまで、話があればどこへでもという感じでやってきました。どこに行っても平然とやってこれたのは、どこに行っても勉強させてもらっていると思っていたからだと思います。

ただ自分の方はある時点から、経営者としてこれでいいんだろうかと疑問を抱くようになりました。どこかで峻別を始めていたんですね。ここはもういいんじゃないかとか、ここは気合いをいれてとか。そうするとそういうつもりがなくても大きな所に行くと緊張するようになってしまいました(それは版元ではないです)。そして大抵そういうところは名ばかりでほとんどがスカでした。

業態が受託ですから、ちょっとでも気を緩めると下請けだと恐怖感を持ってやっていたので、そうやってあたりがなくなってくると焦りも出てきます。さらに上(という考えがもう終わってるわけだけど)を目指して一発逆転の気持ちです。そしてその気持ちと裏腹にだんだんくたびれた営業マンの風体に。

難しいのはそういう状況だとしのげるんですよね。それとやっている感もあるし、つき合いも広がるし。あとはサラリーマンとしても中途半端に終わっていたので、ちゃんと部課長っぽく歯を食いしばって、みんなご苦労!と声かけ、ふぅとネクタイ緩めるみたいな、そういう仕事もやってみたいという思い残しもあって。

ただやはり心の奥底でどこかそれは違うと、それがやりたかったわけじゃないと、そういう気持ちが芽生えてくるのもわかりました。何年か前の話です。

そういうときにある経営者の方とお会いしました。今も取引させて頂いていますが、同世代ですでに社員も沢山抱えて大きく事業を展開されていて、十分儲かっているんだから遊びまくってても何の問題もないだろうに、新しいことにも貪欲で。

その方の会社はネットで事業をやっていますが、本人は一切ネットに出てこないし、何か積極的に営業に出ているようにも見えないしで、一度飲んだときにどうやっているのかを聞いてみて、なるほどそうか、そういう立ち位置もあるか、それいいなと思って今に至ります。あえて言えば戦略的な引き籠もり。

翻ってみて何が苦しみの元凶だったのかと考えてみれば、どこかで承認や評価を求めていたんですね実績を出す前に。それもちょっと俯瞰してみればたいしたことの無い村社会で。自分としては脱藩浪士を気取っていても、それは草莽志士のように志を持って新しい場を開拓するのではなく、どこかで上手い仕官先がないかと下卑た気持ちがあったんだと思います。

そう思って言わば心のちょんまげを切ってみれば、何のことはなく昨日と同じ今日であっても見えてくる世界が全く違うことに気付きました。もっともそうなると今度は身近なところに軋轢が生まれてそれを越えるのに時間がかかりましたが、そこはうつけ者と思われておけば万事OKです。

最近、何かの記事で読んでなるほどと思いました。雑草とは望まれないところに生えてくる草のことだと。生えてくる場所をシフトすることで、生き残る戦略があるそうです。

お茶のお稽古に行けていないのですが、茶花を覚えないといけないと思ってました。元来動植物にそれほど興味もないので、面倒なことだなぁと思っていたのですが、そこにまだまだ知識の多さで評価を求めようという心(要するにモテたいという気持ちですな)があることにも気付きました。

成熟社会で花が多い社会になっていると思います。たとえ世界に1つだけの花だとしても、埋もれて生きるのは辛いんじゃないかと思うこの頃、雑草は名のない草花ではなく、生き残りの戦略として生えるべきところではないところに生える選択をした草と思えば、一見地味だけど面白そうな生き方ができそうな気がしています。