14年目の運動会

週末は長男が1年生のころから数えて連続14回目の運動会でした。

ひところは3人同時で撮影編集係は大変でしたが、数年前から次女のみとなって多少寂しくなってきたところに、今年はいよいよ昼食が親子別になって、ますます地味な感じになってきました。これも時の流れですね。

といっても地味になっているのは我が家の話だけで、学校の方は少子化が嘘のように、この数年のマンション建設ラッシュで近辺住民激増のためクラスは倍増となり雰囲気は様変わりです。

校舎建て替え前は、昭和の牧歌的な自分もよく知る運動会の雰囲気でしたが、最近は新校舎のように現代的な野外スポーツイベントをみているかのようです。このあたり社会的な進化を痛感しますね。

そして観覧側も、昔はキャンプセットをもってきて酒盛りに近い親御さんたちもいらっしゃいましたが、ここ最近は学校やPTAの皆さんの努力で見違えるように皆さんスマートに観覧、撮影されていらっしゃいます。

というわけで、今年もそうなんだろうなとのんびりでかけたのですが、さていよいよ撮影だとビデオを取り出したところで、いきなり怒号が聞こえてきました。何事かとふと横を見ると、PTAのパパさんが最前列で仁王立ちして撮影をしている年配の男性二人に腰を低くするように注意しているところでした。

間違いなく生徒の祖父世代の方々だと思いますが、お二人とも体格良くしかも高そうなゴルフウェアを着こなして堂々たる容貌でしたので、恐らくそれなりに地位のある方なのだと思います。ただ、いきなり息子のような男性に面前で咎められたので、鳩が豆鉄砲を食らったかのような表情でフリーズしてました。

もう少し言い方もあるだろうなとも思ったので、だからこの世代はといった話にするつもりはありません。逆に、多少は反面教師として将来の学びを得た一方で、このところ強く閉塞感を感じる代わり映えしない現状とに照らし合わせ、現役世代としては、もっと考え抜いた対応をしていかないとならないんだろうなと、単に先輩世代を責めても仕方ないぞと、そういった思いを強く抱きました。

小学校の運動会参加もまだあと2年。

自負心との付き合い方

上手いタイトルを思いつかないのですが、言いたいことは「おじさんになっていることを自覚するのは難しい」ということです。

編集者として仕事を始めたその翌年にWindows95が発売され、すぐにインターネットがやってきて、今で言うところのブラック企業な環境でDTPをする編集者として解説書を作ってました。

もともと今で言うところのアーリーアダプターな父親のお陰で、高校生のころから自宅にはNECのマイコンが家にあって、デジタルには慣れ親しんでいた方なので、コンピュータ技術書の仕事は面白く、HTMLからExcelVBA、Linuxそして自作パソコンと手当たり次第自力でやれることはやってきて、ネットのサービスがいろいろと出始めると、これを端から試して回って、そこそこ何かがわかっていると思ってきました。

確かに、それは小さな会社で雑用係を兼用せざるを得ない社長業をやっていくにはとても役立って、またそういったことを活かして新しい事業を作っていきたいという野望に燃えてやってきましたが、時の流れは残酷ですね。決して怠けていたわけではないですが、やはりすべてのことを自分の力でやれるわけでなく、限界があることを知らされました。

もともとエンジニアの技術や才能があるわけでもなく、それ以前に編集制作会社としてやることに追われていて、簡単にいうと器用貧乏な状態のままここまでやってきて、ふと気づくと何もかもが中途半端な状態になっている、そういう状態です。

ほんの一瞬、もういちど学校にいって自分で勉強するべきかと思いましたが、15秒ほど悩んで止めました。これまでウェブエンジニアリングについて、きちんと人に任せることなく片手間でやっていたことを反省し、専門家にお願いして体制をしっかりと構築し直すことにしました。

ほんとうに今更ですが、気づいてやり方を変えたので良しとします。おじさんはおじさんらしく、いろいろと若いものに気持ちよく働いてもらえるよう、その気にさせるような仕事に徹しようと思います。

台北書店調査2017

先月中旬に恒例の社員旅行に出かけました。今年は新しい社員も加わってさらに初の海外ということでどうなることやらと思いましたが無事帰国できました。

旅行の様子はISSHIKIとHONTENTSの各ブログもご覧ください。

社員旅行といってもいちおう目的は研修として、2日目を3チームに分けそれぞれ事前にプランを立てての計画的行動としたのですが、みんな若い上に初海外も多く、そこは結果的に慰安旅行的な感じでOKよということにしました。

準備が進んでいくにつれ、みんな楽しそうに計画しはじめて、なんだかそこに社長がホイホイあとからついていくのもあれだなと思ったのと、出発直前にJTBさんにガイドを頼めるか尋ねると、なんとかします!といってなんとかしてくれたので、現地ガイドの方に、台北の書店回って途中市内観光チームと合流して食事というざっくりプランで巡ってきました。

台湾は学生時代以来なので四半世紀振りです。当時は台中、高尾、花蓮と巡って台北はそんなに滞在しておらず、もはや記憶も薄れているうえに見るからに街の様子も様変わりということで新鮮な気持ちで巡りました。

当初の目的地としてガイドブックにも紹介されている誠品書店だけ指示して、あとはガイドさんの思いつくままです。

一応断っておくとこの記事には資料的価値はほとんどありません。調査前から恐らくそうだろうなと思った通りの書店事情だったのと、書店が生活上どんな位置づけなのかその感覚を感じるための路上観察です。

台北の書店情報はいろんなサイトやブログに記事があるので詳しく知りたい方はほかを検索してみてください。

蔦屋書店が参考にしたという誠品信義店。台北101が真正面に見える立地で東京でいったら丸善丸の内オアゾ店みたいな感じでしょうか。
明らかに底本がわかるビジネス書が多数。小さくて見えないけど79折と書かれた赤いシールは21%引きという意味。ガイドさんはここは”高い”から日頃は来ないと言われて最初なんのことかと思ったら発刊から時間が経つと下町の書店では値引き販売するとのこと。
日本史の本もたくさん。
工作とは仕事のことです。
書店だけでなくおしゃれな雑貨や家電製品も売ってて、なるほど蔦屋家電が真似したというのがよくわかるけど規模はこちらの方が大きい。
フロアは綺麗です。
ほんとうにピカピカ。あとで気づいたけど、日本の本が多いのはいわゆる好日だからというよりはそういうスタイルを売りにしているといった感じです。

このあと昼食の店まで移動してみんなにご馳走したあと再び調査開始です。

昼食のお店のすぐ近くにあった三越の上にある書店。中にアップルストアがありました。ここも本は3分の1ぐらいで家電や文房具が売ってます。もちろん綺麗。

このあと普通の”本屋”行ってみたいとお願いしたらじゃあ台北駅の付近ということで歩いて移動しました。

途中地下街を歩いているときに、「あ、思い出した」とこちらの地下書店街に。
ところが完全なるシャッター商店街でガイドさんも驚く。
1店舗だけ開いていてガイドさんが店長さんにインタビューしたところ、なんとつい最近誠品に買収されて全面リニューアルとのこと。このあと駅の反対側にいったときにわかるのですが、そこも誠品ブランドの商店街に。
出口付近に看板。「こんな感じだったのよ。また安く本を買うところがなくなった」とガイドさん。

再び地上に出て台北駅近くの一般的な書店に。あまりの本屋然とした佇まいに関心して外観撮るのを忘れました。

入るといかにも”本屋さん”の懐かしい匂いです。雰囲気もまったくもって日本の駅前書店。

「你的名字」は例の「君の名は」です。最初に訪れた誠品書店で大々的に「君の名は」フェアをやっていて、ガイドさんが「観た?」と聞くので「観てないだよね〜」というと「私は観たよ。ネットで(笑)」みたいな、蔡さんはおちゃめな人でした。

雑誌コーナーもまったく違和感ないですね。
どこかでみた写真。よく台湾版を出すので表紙流用の契約の話がきますが、なるほどこうやって並んでるんだなと。ただ都心の誠品ほどは日本の本は並んでません。
そして二階に上がると学参コーナーで、これまた近所の駅前書店の様相です。
ところが上層階に上がると様相一変です。
文具や各種ケーブルなど品数も豊富です。USBミニケーブルを忘れてきたのでここで買いました。

もともと台北駅近辺は塾や予備校がたくさんあって、それで書店が多いとのことですが、だいたいどこの書店も本は3分の1ぐらいであとはいろんなものが売っているというのが今の台北の書店事情のようで、どこも本の売り場は縮小しているということです。

実際のところ本屋には行かなくなったと蔡さんも言ってました。なぜならスマホがあるから。

実は前の晩に社員が夜市でスリに遭った!というのでパトカーに乗って警察署に行くという一大イベントが発生したのですが、そのときにお巡りさんたちが出してきたのもLINEの翻訳機能でした。

私も旅行中は空港で買ったSIMをAndroid端末に入れて使ってましたが1,000円で3日間使い放題。スマホあれば何もかも事足りるって感じ。いやもはや無いと困るですね。

撮ってとお願いしたら古屋さんが呆れてましたけど、その後パトカー乗って警察署行ったら、なんとリュックの奥底から財布が見つかったというめでたしめでたし。
 謝謝、サンキュー、ありがとう!お巡りさんは苦笑いしつつも駅までの道を教えてくれました。さすがエースデザイナーはやることがひと味もふた味も違うよね。

話がそれましたが、先程の書店から少し奥に行ったところに書店街があるというので出向きました。

重慶南路一段です。要するに神保町みたいなところですね。
もうここは完全な書店。余計なものは一切売ってませんでしたが、逆にいうと面白みもなく一巡してすぐに出ました。
台北駅は地下街がダンジョン。みんな暑いので地下を歩くそうですが、次回行くことがあったらここを探索した後に新幹線に乗りたい。

台北駅近辺を後にして夕食のお店に行く途中に再び誠品の新しいビルに出向きました。

あとでよく考えるとショップが入ったビルでガラス張りって珍しいですね。
店内はもう十分わかったよ。というぐらいにここも綺麗です。最近新宿も中国人観光客の中国語が響いてますが台北の人は大声で話をしませんね。街中静かでそういうところも日本と同じ感じを受けましたが、正直このビル内は店内も訪れている人たちも東京以上におしゃれだと思いました。
もうざーっと流して調査終了です。
ガイドさんとも別れ日本じゃ絶対に一人じゃ入らないおしゃれカフェで一休み。

ちょうど同じ日に知り合いの社長さんも台北に遊びにきていらしてFacebookでやりとりしてました。その方は以前からよく遊びに行くと仰っていたのですが、なんとなくその理由がわかった気がします。

中華圏といっても大陸みたいに騒がしくないし食べ物は美味しいし、なにより綺麗。ふらっと出かけて美味しいものを食べに行くにはいいところだと思いました。あと昔来たときはビンロウがあちこちに売っていたのが印象に残ってましたが、蔡さんによるといま台北ではほとんど売ってないそうです。

いつの間にか書店調査の話がどこかにいってしまいましたが、書店という存在が古臭いものになりつつあると実感しました。もちろん台北でも日本でもこの先書店はなくならないだろうし本も残るだろうけど、いずれも形を変えていくのは間違いないなと思います。

それと改めてライフスタイルのデザインに、おしゃれ雑貨的な意味での本の存在とスマホを使った情報交換が併存して発展していくんだろうなと確認できて、当社のデザイン仕事もますます幅が広がっていくなと実感した台湾行きでした。

「ほぼ」できたは何一つできてない

「あの件は出来ている?」

「ほぼ出来てます」

「そう、わかった」

(数日後)

「で、あの件はそろそろ出来ているよね?」

「ええ、少し難航してますが、ほぼほぼ出来てます」

「そう、大丈夫なの?」

「大丈夫です」

「そう、わかった」

(数日後)

「あの件、もう出来たよね?」

「はい、出来てはいるんですが…」

「どれ、見せて」

「これなんですが、このあたりがどうしても難しくて、このようにも考えたのですが…」

「なにこれ、全く出来てないじゃないか!」


一体誰が悪いのか。

「ほぼ出来た」を完成が見えているとして見逃す(そうあって欲しいと願う)方が悪い。

育て直し

次男が小学校を卒業しました。

デジカルと同じ2003年10月生まれ。創業のドタバタで病気をさせて、いろいろ不憫な思いをさせました。その影響で言葉がおそく高学年の勉強についていけないのではないかとも言われていましたが、無事中学に進級です。

彼の努力もさることならが、この6年、毎週通級に通わせていた家内や先生方の丁寧で手厚い指導のお陰です。自分はたった一度しか見学していませんが、先生からはまるで乳母のごとき深い愛情を感じました。

上の子供達はいつのまにか中学に入って、いつの間にか高校生になっていて、ほぼ全く勉強は見てあげてないのですが、さすがに彼には時間をみつけて苦しんでいる科目を手伝ってあげました。

やはり小さい頃に一時期耳が聞こえなかったというハンディはいろいろなところに影響をしていて、その都度ぶち当たる問題の根っこまで戻っての育て直しです。

それなのに卒業式にはやはり出席する余裕ができませんでした。

もちろん無理に出ようと思えば出られないわけではないのですが、ここで休みを入れると会社の成長が大幅に遅れる、という判断で当日の朝礼に出ることを優先しました。

それほどまでして、いま何をやっているのか。

こちらも育て直しです。先日席替えをし、昨年末に初めて作った社長席を離れ一番末席に戻りました。この席は、当社の生え抜き社員たちのいる席です。

この1,2年で会社も成長しましたが、彼らを次のステップに進級させるためには、遠くからあれこれ指導しているのでは間に合わないと気付きました。

それというのも本来このような現場を任せるべき取締役二人もまた、40代となって仕事の進め方の壁にぶち当たっていて、彼らにも直接、自分の経験則を伝えることで成長痛を乗り越えてもらい、次の段階へと進んでもらおうと考えているためです。

この先、どうすれば上手く成長させることができるのか、私の中では見通しはついていますが、それに部下の気持ちや知識がついていかない。そういうときに経営者としてどう判断していくのか、ということです。

今の判断は、自分自身がまだ20年近く現役であること、5年もあれば会社は様変わりを経験したことから、彼らに付き合って、会社としての基盤をこの際しっかり作って、それから一気に成長させようという考えです。

順調に5年経つと、次男も今度は大学進学をどうするかの問題が出てきます。おそらく会社の方もまた新たな成長の壁にぶつかるとは思いますが、おそらく、ともに成長して乗り越えたという背景を共有できれば、今よりもさらに状況を俯瞰してみることができ、次なるハードルはさらに低くみえるのではないかと思っています。

幸いなことに?その5年後に次女が小学校卒業式。そのときには大手を振って会社を休んで出席できるようにします。

自縄自縛に陥る危険は感じている

「楽しく創造的な仕事で豊かな生活を築く」の理念で、独自資本の独自事業開発で売上規模を幾何級数的に伸ばそうと考えています。

相当なハードルだと自認していますし、実際にあれもこれも、どれもそれもやるべきことばかりで、かなり強く意識して自縄自縛に陥らないよう注意しています。

洞察力や構成力には結構自信がありましたが、すでに一人で抱える限界は昨年末から強く感じていて、これに対してビジネスマネジャー人材を採用する計画を持っていますが、進めているうちに一昨年からのV字回復戦略があまりにうまく行きすぎて、ワンマン体制からの転換ができていないことに気づき先月はずっと会社に籠もって手を打っていました。

すでに社長室を別に借りたり、実務をどんどん手放したりと、物理的な距離を作ることやリソース開放を先に進めていましたが、仕込んでいた企画の進捗がそれを上回って先行していて結果的に転換進捗が遅れ気味になっていました。

ただ、強固な岩盤だった幹部の意識改革も、今月になってその硬い岩盤にバキバキとヒビが入って光明が差し込んできました。一気に突き抜けて経営陣を構成します。

会議は「前日」と「翌日」が大事

社内プロジェクトや経営面の重要課題が目白押しで、ずっと引きこもり状態でした。気づいたら早くも1月が終わろうとしています。

社員育成を第1の課題と取り組んでいますが、全員経歴や立場が違うので個別の取り組みだけだと時間がかかります。そこで会議を全体レベル底上げの場として利用しています。

これまで、社内外でいろんな会議にいろんな立場で参加してきましたが、どんな時も最初に参加する姿勢としては「率先」が大事だと考えてやってきました。

もっともなんでもかんでもオレガオレガとやっていると白眼視されますし、その組織にとってメリットある提案を含んだものでなければ「私はこう思います!」といった青年の主張ではアホだと思われるだけです。

ここぞというところで、さらっと提案の形で意見表明する人は仕事ができますよね。たまにそういう人をみると見習いたいなと思ってみています。

会議にはいくつか種類があると思いますが、一番大変なのはやはり責任者会議です。数字は嘘つかないですから。きっちり数字を追いかけていると嘘を付いている人はすぐに分かってしまいます。

そういう場合は怒鳴ってましたが、最近はエネルギー浪費という観点から、見込みの無いものには怒鳴らず静かに切り捨てるようにして、今後は「静かな方が恐ろしい…」のレベルを目指そうと思っています。

この話題いろいろ書きたいことがあって脱線気味ですが、本題に戻して、会議で大事なことは「決めること」です。

そして決めるには材料が必要なのですが、事前資料を準備することより「事前に考えておくこと(決めておくこと)」が何より大事だと思います。そしてその判断をきちんと自分の言葉で説明できるかどうか確認しておくことです。

次に大事なことは「決めたことを直ぐに実行すること」ですね。実行しないと何が生じるかというと、次の会議の直前に言い訳を考える癖がつくんですね。これは本人にとっても評価が下がるだけでなく、会社としても大変な損失ですね。

つくづく会社というのは頭脳戦だなと思う毎日です。いかに考えるエンジンが強力かどうかで、あっさりと勝敗が決まっているように思います。

これまでは一人奮闘して頭を絞っていましたが、それは続けるにしても、今後はもっと積極的に優秀な人を仲間に加えていくことと、社員の考える力の底上げをしておかないとならないなと痛感しています。

ということで、これからしばらくは口酸っぱく会議は「前日」と「翌日」が大事を繰り返すことになるのだと思います。

ちなみにEvernoteはこのエンジンのターボになるのは見えていて、早くターボをフルスロットルでかけたいのですが。

元来考え事は苦にならない方だったので、人に考え方のコツを教えるのは難しいですね。

ブログの更新頻度が落ちている理由

一ヶ月に3つも記事を書かないなんて初めてのことです。

関係者の秘密保持のため書けないことが増えていることが一番の理由ですが、いませっせと布石を打っている内容を、わかりやすく伝えられない文才の無さを痛感しています。

このブログを振り返ってみても、更新頻度が多かったときは危機的な状況で、要するにシングルイシューだったので書きやすかったということですね。

それにしても日々様々な出来事があって、その都度考えていることをスパっと書き下ろせないのはフラストレーションです。

マスコミの綺麗事としか思えない時事評論を拾い上げ、さらに綺麗に磨きをかけたコメントを長々と書いたりしている人を見ると、その脊髄反射的な対応も含め非常に幸せそうで羨ましいなと思います。

ということで、最近記事更新が少ないのは、便りのないのは良い便りのようなものです。

 

陸軍参謀大佐 松谷誠

今年の夏もいろいろと番組をやってましたが、薄っぺらなものばかりで印象に残るものが少ないなか、この番組のエピローグが胸に突き刺さりました。

調べたら松谷大佐が当時40代前半ということもわかって、もう一度番組見直してキャプチャ画面取って見返しています。

組織でことを動かすことがどういうことなのか、ことを成すこととはどういうことなのか、自社に留まらず関与する関係者が多岐にわたるプロジェクトが増えてきて、ついつい「こうすればいいのに!」「そこでなんで!」と、そういう思いが先立ちそうなときに見返しています。

組織で活動してことをなすということは、単なる我慢や辛抱ではないんですね。寛容、忍耐、滅私、孤独、慎重、決断。全ての要素が必要だと。なるほどと。

しかし松谷大佐の当時の活動を考えれば、国会でデモしている人間をニュースで大々的に流すことに大した意味がないことを改めて感じます。

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46歳になりました。

例年の振り返りポイントとして。

40になったかならないかぐらいに、「45歳まで」というゴール設定をして、公私ともに取り組み方を変えてきました。この5年近く、周囲との軋轢は尋常ならざるものがありましたが、結果達成率が9割に到達し、十分すぎる成果だと思うので、いろいろあったことも結果オーライとし、すべて過去の話として流し去ることにしました。

この46歳の誕生日を節目と考えて、次は10年先を見越した計画を実行することにしました。事業の発展拡大は言うまでもないこととして、今後は新規性と持続性を常に意識していきたいと考えています。新しいこと、特に価値創出を続けることは至難の業ですが、その素地を作るところからしっかりと。

また振る舞いも変えていこうと思っています。ひとつ固く決意していることは、目上の人から仕事を貰うような仕事はしないということ。要するに短期的な売上を考えた営業はもう止めたということですね。もちろんトップセールスは今後も全開でやりますが、大したこともないのに、なんだか偉そうにふんぞり返っているおっさんやおばさんに合わせて付き合っている暇はもうないなと思ってます。

これ単純に年上の人と仕事をしないということではなく、感性のない人と交わることは時間の無駄なので止めようということで、年配の方でもキラキラしている人には、こちらから何か貢献できないか模索して一緒にできる仕事をつくっていこうと思っています。

あとは普段の靴をスニーカーにすることに。ほんとうはスーツや靴も新調してスタイル変えてみようかなとかも思っていたのですが、最近書店で並んでいる一流の人間は的な本に、スーツとか靴とか時計とか、四六判のビジネス書で何気取ってんの格好悪と思えたので。これも単なる反抗期ではなく、スマートかどうかは見てくれじゃなく自らのビジネスの成果物で示すという意気込みです。

 

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過去記事:

42歳になりました。

44歳になりました。

45歳になりました。