SEIHAプロジェクトの現在

前回このカテゴリーでエントリーを書いて2年4ヶ月が立ちました。

身近な人はよく知っているみたいですが、諦めが悪い上に、かなりしつこい性格で、SEIHAプロジェクトは、1人しつこく続けておりました。

地方に出張を重ねているのも、電子出版事業に関連してのことですが、その延長線上にはSEIHAのもともとのコンセプトである地方インバウンド観光の一助となるようにと、しつこく考えています。

さすがに2年も経つと自分の中での位置づけもかなり進化変貌してきており、単に観光につなげるということではなく、「地方」との連携の部分に関連して、これは!と思う事業を立ち上げていくことに意識が向いています。

明日は電子出版事業の話だけど、SEIHAに繋がるように動きます。具体的に動くのは半年ぶり(前回からあっという間だな・・・)。

自分のチームはほぼ完成しました。座組も見え交渉条件も決めました。次は実行組織の準備。今回は現場があるのでデッドラインを設定して動きます。

しかし、もっと働けるのに!と思うけど任せて貰えないもどかしさ。ついつい前に出すぎてしまうところは、石田三成と3回唱えて自重します。

SEIHA実現の戦略を決めました。

会社は昨日と同じ今日を維持することが大事ですが、今日とは違う明日を作る仕事も少しずつ手がけて行かなければ永続的な発展は不可能です。

そういった発展に向けて進むとき、全員でどこに向かって進むのか、デジカルの中期的な目的地の1つがSEIHAプロジェクトの実現でした。

第1弾である攻城団の頓挫は、私に足りないものが何であるのかを教えてくれました。その足りないものをこれから積み上げます。

足りないこと2つ。

“SEIHA実現の戦略を決めました。” の続きを読む

今後の「攻城団」について

●はじめに

約2ヶ月にわたる「旧攻城団開発チーム」開発内容ついての、専門家によるリサーチ結果を踏まえ、ゼネラルプロデューサーの河野さんとともに今後の「攻城団」の開発とSEIHAプロジェクトの展開について協議を行い方針を定めました。このエントリーでは、今後の「攻城団」についてまとめます。

●開発中断の経緯

すでに事務所移転の前後で「攻城団」の開発の失敗要因と、開発作業を緊急停止、調査に入っていることについては、2つのエントリーで説明してきました。

2011年5月19日「SEIHAの現状と今後について」

1.内部設計が完璧にできていなかった。

今回の攻城団の企画は河野さんからの提案によってプロジェクトが始動しました。すでに明確な企画コンセプトがあることに油断して、詳細な設計を詰める前に(それなりに詰めたつもりでしたが)システム開発を外注してしまいました。最終的にこの問題が最後まで尾を引きました。

2.初めての開発をオフショアで行った。

攻城団のシステムは中国大連の会社で開発を進めました。私自身は今でも中国人と日々接することもあるので、外国人だからダメという結論は持っていません。ただし文化として、例えば日本人が納品物といえば、それは80パーセント以上、場合によっては120%の完成度をもってそれを提出するのに対して、60%程度のもので提出し、それに対するストレートな注文と応対を繰り返すことで完成に至るというような背景があることに最初気づきませんでした。

3.資金不足に陥った場合の対応が未熟であった。

明確に定めていたわけではありませんが、開発チームには途中から受託案件などの作業を手放して開発に集中させました。ただし、小さな会社では、超低利の長期借入金とはいえ、それでも止めどなく出て行く開発資金に対して、開発が行き詰まりを見せた頃から私自身が果断な決断ができなくなりました。

2011年6月16日「儲ける体質、組織をつくることが第一。」

1つはSEIHAに顕著ですが「開発」を甘く見ていたことです。この開発というのはウェブシステム開発という狭義の意味ではなく、商品開発における「開発」の意味ですが、具体的には千三つの世界どころか、さらに成功の確率の低い大変危険な賭であるという認識がまだまだ足りなかったということです。

このリサーチについては、素人のつたない相談に乗って頂いた開発会社の皆様、および個人的にご協力頂きました方々には、ご多用のところお時間を割いて頂き本当に感謝しております。皆様ありがとうございました。

●今後の開発方針

結論としては、「攻城団」の継続開発は可能であるが(大連の仕事もそんなに悪くない内容とのこと)、完成させるためには相応の追加予算が必要ということでした。また、足りない(莫大な)予算額も明らかになりました。当然のことながら、今の当社でそれを用意する余裕もなく、この時点で現在の経営資源での自社開発は一時中断せざるを得ず、「攻城団」から「SEIHAフレームワーク 第一弾」の看板を外すことを決定しました。

今後ですが、次のように考えています。

1.デジカルは、条件が整えば「攻城団」の開発を再開して完成させ、SEIHAの機能全部入りプロジェクトとして事業展開していく(香月としては国内観光促進の一助となる事業に取り組みたいことと、その先に新しい出版の体現も考えているため)。

2.完成に至るまでは、コミュニティとしての「攻城団」kojodan.jpを、将来的に「攻城団」のプロデューサー(運営者)となる河野さんが何らかの形で場を暖めていく。

3.再開発するための資金調達は、「攻城団」および「SEIHA」の意図を理解し、「攻城団」による日本の国内観光の活性化という目的に賛同し、一緒に開発・運営を楽しんでもらえる人からの出資を模索する。

4.システムは、今後取り組むSEIHAプロジェクトの企画提案(これについては別エントリーで説明します)による実践的な開発・運営によって最適なシステムを作り上げ、それを適応させる。

もともと、攻城団はSEIHAプロジェクトという大きな枠組みの中で、この実現を加速するための素敵なショーケースとするために開発を進めてきました。今回のリサーチによって、その実現のためには、当初私が想定していた以上の資金投資が必要だということがわかりました。

さらに開発遅延で炎上した結果、いつしか攻城団の開発そのものが目的化し、SEIHAという大局を見失っていた反省も踏まえて、この攻城団の実現については戦略を逆転し、実際に実現できるSEIHAサイトから開発を進め、そこで蓄積した開発ノウハウを、改めて「攻城団」に適用することにしました。

●改めて開発を振り返る

現状の攻城団は、システム開発のディレクションで手間取ったために開発を中断しましたが、何度も書いているとおり、すでにデザインやデータベース、運営方針などは公開できる状況まで作り込みを終えています。

一刻も早く公開・運営したい。

このエントリーを書くために1年前からブログを読み返しました。喜んで読み返せるような内容ではありませんが、しっかりと失敗を見据えた上での今後の展開です。冷静に見つめ直す意味でも経緯をまとめてみました。もし興味がある方(興味を持って頂けた方)は一読ください。全くの余談ですが、ブログやっていて本当に良かったなと思いました。このエントリーをまとめることができるだけでも値千金だと個人的には感じています。

2010年

4月2日:SEIHA第1弾「攻城団」を7月1日リリースします。

4月7日:SEIHA「攻城団」ドライブ

7月17日:ちょっと大連に行ってきます。

8月9日:SEIHAフレームワークで未来の読者を作ろうと考えています。

9月14日:もう頑張らなくていい、真剣にやってほしい。

11月15日:11月26日がくる。

2011年

2月15日:SEIHAと攻城団についてブログ書きました

2月15日:SEIHAのプロデューサーネットワークについて考え始めている

3月18日:一週間が経ちました。そして次の一週間に向けて。

4月15日:事務所を移転し出直します。

4月20日:それでも掘り進む。金鉱まで残り3フィート。

5月19日:SEIHAの現状と今後について

6月16日:「儲ける体質、組織をつくることが第一。」

すでに去年の秋の時点で、プロジェクト破綻の萌芽があったことがわかります。しかし、その時点ではすぐに打開策を打てなかったのもまた事実です。今年の3月以降は、地震の混乱とともに事態の整理に時間を費やしました。

途中で何度も、できたところで公開したらどうだという話を頂きました。しかし、そこはゼネラルプロデューサーの判断に任せました。そして、結果未公開という判断は今でも間違っていないと考えています。

それこそ、大きな事業を運転するための、その器となる大事なウェブサイトです。基礎工事がしっかりとできていない、チームの準備も整っていない、そういう状況で公開したところで、きっとみんなは「面白いね」と言ってくれたとは思いますが、本気で使ってもらえるサービスになることなく、それこそ「いい経験だったね」で終わっていた可能性はあると考えています。

大きな事業をするための準備、特にSEIHAはライフワークを提案するウェブサイトですので、この1年の無駄足も結果的には必要な足踏みだったと、そうなるように繋げていく考えです。

結局、旧開発チームで失敗したことは、内部設計が足りなかったということですが、それについても最終的にキャッチアップができなかったことが問題であって、すでにこの点については、ディレクション人材として徳永くんを迎えており、さらに懸案となるシステム開発については、今回のリサーチで協力してくださった複数の実力ある開発会社の皆様にパートナーとなって頂くことで、120%実現の可能性が高まりました。あと足りないのは資金のみです。

●資金調達についての考え

この「攻城団」の開発については、数年前にデジカルで儲けて蓄えた資金を全部つぎ込みました。いま手持ちの余剰資金はゼロです。ゼロどころか、のめり込んだあまり本業が手薄となったため、そのために使い込んだ借入金の返済のためにも現状は全力で取り組んでいます。

私自身は単純に大金を手に入れたいという考えはありません。結局、毎度この攻城団の開発を振り返ったところで、いつも最後に到達するのは、お金があっても上手くはいかなかったという事実に行き着くためです。開発チームをそろえることはできなかったし、マネージメントも完璧にはできませんでした。

しかし、資金がほぼ尽きた今だけれども、逆に周囲を見渡すとチームが揃い、マネージメントの手痛い失敗を糧とした経営の自信はつきました。ということは、今度は確実に「やれます」ということです。

またまた余談になりますが、今回の会議の席上、1年以上にわたってこのプロジェクトに尽力してきた玉造くんが、SEIHAサイトの根幹となるある重要な事柄(河野さんが魂込めてレクチャーしてきたこと)をしっかりと受け継いで次なる企画の検討に望んでいる姿を見ました。もとより今回の開発を無駄な投資とは思っていませんが、しっかりと土台となるものは積み上がっていると感じる場面でした(SEIHAの当初の目的の一つは人材育成でもあった)。

閑話休題。

先月の日経新聞で、尊敬する経営者の一人である日本電算の永守社長が、日本に「大型」ベンチャー企業が生まれにくくなっている要因のひとつが、創業者が安易に資金集めできるようになったことだと思うとして、次のように語っていました。

せっかくのベンチャーでも簡単に創業し、すぐにIPOしてしまう安易な会社が増えているように思う。そうした会社は結局大きく育たない。大きなビルを建てようと思えば、基礎工事がしっかりしていないといけない。会社にとっての基礎とはつまり、資金繰りの苦労や人材育成、マーケット開発、製品開発、技術技能開発などだ。

(中略)

ベンチャービジネスは弾が一発しか入っていないピストルのようなものだ。打ち損じれば機関銃で撃ってくる大企業に負けて会社はそれで終わり。だからこそ真剣に狙わないといけない。少ない資金をできるだけ有効活用するため知恵を絞る。その結果、企業体質が引き締まる。我が社でも、資金集めに苦労したプロジェクトほど成功したことが多く、簡単に資金調達できたプロジェクトは失敗が多かった。

安易に資金が手に入ると、緊張感も薄れバランスを取れた経営ができなくなるからだ。創業経営者が成功するためには、少なくとも5年間は資金繰りに苦しむ辛抱の時期が必要ではないだろうか。

この数年資金繰りについては真剣に頭を悩ませましたし、事務所を縮小移転した今でも気分は毎日がタイトロープです。しかし、それでいいんだと思います。だからこそ、絶対にこの事業で儲けを出していこう、そのためには役に立つ企画提案をしっかりやっていこうと、そういう原点に引き戻してくれるためです。

●おわりに

本当のところ実際はどうだったの?といわれるとここで答えられないことはあります。実際には、腹立たしい場面もたくさんありました。しかし、私自身、人として足りない部分を直視する事態にも直面しましたし、のめり込むがあまり結果的に家族や仲間にも迷惑をかけ、面目ない部分もあるのは厳然たる事実です。

それでも今日こうして仕事を続けられて、再び攻城団の開発に向けた方針を定めることができたことをもって良しとしたいと考えています。

そして、始めたから止めないというような、子供じみた自分の都合だけで開発を継続するのではなく、この「攻城団」が絶対に面白く、そして日本の役に立つ活動であり、かつデジカルの新しい事業展開に必要なことだと信じています。そして、これからは失敗しないようにではなく、成功するように取り組み直す考えです。

次のエントリーでは。今後のSEIHAについてまとめます。

SEIHAの現状と今後について

「先に進むほど、ゴールは遠くなる」

これは去年からずっと講演の収録をお手伝いしている林英臣先生の昨日のメルマガのタイトルです。まさに今この心境で、SEIHA、攻城団の状況についてお伝えしなければなりません。

一連の事務所縮小移転については、直接的なトリガーは地震でしたが、遠因は攻城団の開発遅延と、その影響による受託業務の営業不振(トップセールスとして)の2つに集約されます。

これまでもSEIHAのブログで何度か開発の立て直しを図っていると告知して進めてきましたが、4月末と5月末のタイミングで限定公開、そして一般公開へとの最終計画も、GWに入る直前に、それがほぼ不可能であるという判断に至りました。

攻城団については、開発着手からすでに一年余。コンセプト、デザイン、HTML、データベースなど、当初想定していたものは先月中に仕上がりました。しかしながらシステムのバグ改修とテンプレート組込作業については、進行の遅延を繰り返し、その目処がつかず、ここに至って、それぞれの進捗が完全に行き詰まったため、先週末の段階で開発の一時中断と現開発チームの解散を決断しました。

現時点では、内部的に限定公開と決めていた機能制限バージョン完成直前(数個のバグが改修されていない状態)で止まっています。残る作業としては、フルバージョンのテンプレート組込とバグ改修です。

私が報告を受けている状況では、あと少し、がずっと続いていました。ご案内を繰り返していた方々には結果的に嘘をついてしまうことになってしまい本当に心苦しい限りです。

ただし開発を諦めたわけではありません。攻城団を完成させて、SEIHAも事務所縮小の出直しと同じく、イチからやり直したいと考えています。そのためにも、二度と同じ過ちを繰り返さないように、このエントリーでは、今回の開発が失敗に至った要因をまとめておきたいと思います。

なぜ攻城団の開発が上手くいかなかったのか、また立て直しに失敗し続けたのか、その要因は以下の3点です。

1.内部設計が完璧にできていなかった。

今回の攻城団の企画は河野さんからの提案によってプロジェクトが始動しました。すでに明確な企画コンセプトがあることに油断して、詳細な設計を詰める前に(それなりに詰めたつもりでしたが)システム開発を外注してしまいました。最終的にこの問題が最後まで尾を引きました。

2.初めての開発をオフショアで行った。

攻城団のシステムは中国大連の会社で開発を進めました。私自身は今でも中国人と日々接することもあるので、外国人だからダメという結論は持っていません。ただし文化として、例えば日本人が納品物といえば、それは80パーセント以上、場合によっては120%の完成度をもってそれを提出するのに対して、60%程度のもので提出し、それに対するストレートな注文と応対を繰り返すことで完成に至るというような背景があることに最初気づきませんでした。

ただ、1.がしっかりしていれば、日本語での意思疎通には大きな問題を感じなかったのでこの問題は防げたと思います。あくまでも我々が未熟であるならば、文化的な背景や直接的な距離が近い相手と組むべきだったと考えています。

3.資金不足に陥った場合の対応が未熟であった。

明確に定めていたわけではありませんが開発チームには途中から受託案件などの作業を手放して開発に集中させました。ただし、小さな会社では、超低利の長期借入金とはいえ、それでも止めどなく出て行く開発資金に対して、開発が行き詰まりを見せた頃から私自身が果断な決断ができなくなりました。

逆に初期のころには果断と思っていた判断も、実は甘い見積に基づく成り行き判断であったことも事実です。また、行き詰まりを見せた段階で「これだけ投資したのだから」という思いを払拭できず早期の損切りに失敗しました。

特に私自身の思いとしては、数百万円で済まなかった投下資金を、きっちり回収するためには「なんとしても」前に進むしかないという、まさに負けの込んだ投資家が陥る呪縛に見事に縛り取られ冷静さを欠いていたと思います。

以上、現時点で開発を失敗したと考えている要点についてまとめました。

併せて残念なお知らせですが、ここまで開発の要所で頑張ってくれていた大西くんが今回の事務所縮小のタイミングで離職することになってしまいました。彼はマークアップエンジニアとしての仕事を超えて、このプロジェクトに貢献してくれました。その彼の特性を活かせず結果的に華々しい成果を上げられなかったのは一重に監督たる私の責任です。

そういう意味で、この開発の失敗要因には、チームを運用する器が私自身に足りなかったことがあるのは言うまでもありません。

現状ですが、現在プロに依頼して、途中で開発が止まっているシステムが果たして使い物になるのかどうか、その分析を依頼しています。それで使えるのであれば継続開発、作り直したほうがいいということであれば、どうやって作り直すのかという精査を加えて、改めて作業に着手します。

その間、平行して新しいチームの編成に動きます。引き続き河野さんにはプロジェクトの監修をお願いしました。また、現チームの徳永くん、玉造くんについては、メディア事業部のスタッフとして、6月以降もデジカルに残存してもらい、プロジェクトの再起も含め活動してもらうことにしました。彼らには攻城団以外のSEIHAの企画書を準備中です。

そもそも事業計画書が揃っていないということも失敗に繫がっていると思います。私自身は事業計画は所詮、事業予想でしかないと思っていて、その意味についてはほとんどないと考えていますが、ただ「これもいいよね」「あれもあるね」で雑談に留まっていた企画案をまとめておくことは必要と考えていました。この際、それをしっかりと準備するつもりです。また緻密なDBの整理を担当してくれていた石川くんにも、引き続き可能な範囲で協力をお願いするつもりです。

その前提で、今回はエンジニアを探すために動きます。募集はせず、私のほうから人を求めて動くつもりです。もともと編集者として著者を探すことと同じことで、私自身人を集めることに関しては、ここ数年大きな思い違いをしていたと反省をしているところです。こちらはフリーランスや法人を問わず、パートナーとして組んで貰える相手を探します。

「先に進むほど、ゴールは遠くなる」

いま本当にこの言葉を噛み締めています。知らなかったからこそ始められた蛮勇を誇る時期は終わりました。これ以上語ることもないほどの痛みも、それに伴う大出血も味わいました。

その結果としてわかったことは単に、ウェブサービスの開発は甘くはないよというような感想ではなく、「こうすれば完成するのか。でも、そのために準備することが山のようにあるんだな」という冷静な事実認識です。

お茶のお稽古でも4年前に始めたころにはどんどん上達していたものも、最近は遅々として進みません。それは進めば進むほど、学ぶべきことが増えていくからですが、これと全く同じ光景をまさにこの開発の仕事の中に見ています。

同時にまた、こういうものを作ればみんなが喜ぶだろうというイメージも明確に輪郭をもって見えるようになってきました。この攻城団の開発中断は震災を起因とするものではありませんが、逆に震災後の日本を元気にするためのサービスとして、また、私自身が新しい出版の形を実現するためのプラットフォームとしても、是が非でも実現したいと考えています。

先に進むほどゴールは遠くなっていますが、ゴールは見えています。なので必ずやたどり着けると思っています。

SEIHAのプロデューサーネットワークについて考え始めている

で、SEIHAの困った事態をこれまで手をこまねいて見ていただけではなく打開策もいろいろと探ってきました。最終的な判断として、今回はプロジェクトの立て直しもさることながら、そういう後ろ向きなことだけでなく、先々のSEIHA営業の展開を見据えて新たな方に加わっていただき駒を前に進めることにしました。

【就活終了のお知らせ】SEIHAプロジェクトにJOINします。| 笑顔を創りたいWeb屋の日常

彼もタイトルに書いているとおり、デジカルへの転職というよりはSEIHAプロジェクトへの参加として話をしてきました。赤字プロジェクトなので現時点では本当に申し訳ないほどの給料しか用意できなかったんだけど、きちんと儲かったときにはしっかり報いると約束しました。

あとはもし万が一にも会社がダメになったとして、君の経歴には絶対に役に立つと保証すると、ある意味私を踏み台だと思ってやって欲しいとも(笑)いや縁起でもない話ですが、それぐらい真剣にこのプロジェクトの成功に向けて私個人としても意識を持っているということで。何しろ提供できることってそれぐらいしかない状態です。

この他、残念ながら当社の体力が足らなくて採用までは難しかったのですが、もうお一方、SEIHAプロジェクトに興味を持って頂いて関与頂いている方もいらっしゃいます。昨日も企画案のやりとりをしました。

それで今回の彼らの参画を契機にして、SEIHAプロジェクトで考えているプロデューサーネットワークについても、考えて書いていかなければと思っています。要するにSEIHAサイトを収益事業として自分できっちり立ち上げ運営できる人たちの繋がりを作りたいと思っています。

サイトとユーザーに対する愛がなければ、雇用形態だの就業形態だのいくら仕組みを整えても、そもそも上手くいかないんじゃないのかと、逆にそれこそ日頃は距離を隔てても、そこに共通する思いがあるならば、一緒に仕事ができるんじゃないのかなと、そういったことも考えています。

思っていますが、まだこれだというまでまとまっていません。妄想に近いです。まとまっていない最大の理由は、これからの会社組織の雇用形態ってどうあるべきなのかという話に自分なりに答えがでていないからです。

プロデューサーネットワークとあるように、これは何も社員採用ってことではありませんが、それでも、まずは土台がしっかりとぐらつかないようにしておかないと始まらないとダメだと考えていますが、それもこれも社員としてのプロデューサーの育成と、それこそ私と河野さんとの関係性では顧問というよりは、攻城団のプロデューサーとしての関係性とをしっかりと確立していくことを通じて、そういう新しい組織形態を作れないかと考えています。

昔は都心の一等地にきらびやかなオフィスを構えて、沢山の社員とかってことも妄想してたときもありましたが、最近はすっかり考えを改めて、というのはつい最近営業で出向いた素敵な小出版社のビルフロアをみて、小粒でも光り輝くような事業を作ったらオフィスの大小とか社員数とか、ほんと全く関係ないよなと、まず最初に何に力を入れるべきかってことに思い至ったためです。また君子豹変するかもしれませんけどね(笑)

このことはSEIHAに限らずデジカル全体としても考えていこうと思っています。まぁ、でも会社が小さいうちは全ては社長次第って答えは出ているんですけどね。ずっと昔から。頑張ろう。

SEIHAと攻城団についてブログ書きました

昨日、もう長文は書かないって書いたら、「えーっ」と言われたのでかなり揺らいでいます。言っている本人が素敵な人なので、すでにかなり決意が揺らいでますが、まぁそれも君子豹変素ですね。なんて、また家に帰って「甘いね」って言われるな(笑)

ひとまず、このブログでの長文は暫くどうするか考えるとして、仕事に必要なものはちゃんと書かねばと、エントリーアップしました。

【報告】プロジェクトの進捗状況と今後の展開について | SEHA公式ブログ

我ながら爽やかに書けなくて大仰だなぁと思いますが、今は何を言ったところで絵空物語だし、これまでも何度「今度こそ」って皆さんにご案内してて、なんど嘘をつくことになってしまったのか。現場を信じてやっていて悔しい思いもしたし、今回も、あえて脚色もせずに事実だけを率直に書きました。

正直、何で開発が頓挫しているのかわかりません。技術的な問題点は何一つないです。

今日も技術的なことを話すこともなく、精神的な話や自分の体験談を語ってるだけで、まぁその上で相手に聴く耳がなかったら、自分はなんと徒労なことをしているなとも思いました。もし下世話にもプロジェクトヒートアップ事情に興味があったら直接本人たちに聞いてみてください。で、原因がわかったら私に教えてください。

最終的には私に責任があることなので。次に活かします。

必ず一人ひとりにお会いします。

国を動かすような仕事をしようと書いてからか、まだ正式な人材募集の告知も出していないのですが、SEIHAプロジェクトの今後の展開に関する動きが活発化してきました。
来週にも数名お会いすることになりました。

きちんとお伝えしておかなければなりませんが、未来の収益を目指してベンチャー事業としてやっているプロジェクトです。河野さんもほぼ手弁当で当社の事業展開をバックアップしてくれています。今回の人材募集も、いわゆる社員の雇用を保証するような、というと語弊があるな、職や給料の確保を目指して応募されると残念な結果になるかも知れません。だからといって安く働かせる人材を求めているつもりは毛頭無く、当然人材は私の方からも探しておりますので三顧の礼を尽くすこともあるわけで、要するに何がいいたいのかというとこのSEIHAプロジェクトについては同志を探しています。

関与する人間が使命感を持ってこの仕事に取り組まないと、ゼロから海外展開するところまで伸張することを考えているような新しい事業を、本当に成功させることはできないと考えています。いろいろとこれまでブログに書いてきました。この事業は何のために実現させるのか、その本質の部分をつかみ、なおかつそこで何かプラスαを提案貢献できると説明でき、かつ実行する人でなければならないと考えています。

いずれにしても実行する人が絶対条件です。そういう意味では、すでに応募という実行をされている方には必ずお会いしてお話をします。万が一、現時点のタイミングで会わなかったとしても、人材として仲間となれると思えばその時を待ちますし、そもそも社員という形態に固執していませんので、同じ方向性で動くことができるのであれば、事業パートナーとして強固に連携していけると考えています。

ともかくプロジェクトの成功と発展のために、人と資金と情報については、今後もずっと募集していきます。中でも人については、現時点では必ず皆さん一人ひとりにお会いして話をしたいと考えております。また、話を聞きたいということであれば出向きます。

よろしくお願いします。

今年はクルマでたくさん出かけました

先のエントリーで書いたとおり、自らのリトリートも兼ねて日曜日の午後一人でクルマで遠出することにしました。実のところ近々の攻城団のアクションに備えて、改めてSEIHAについてひとり静かに考えたいと思ってのことです。

振り返ってみると今年は結構クルマであちこち出かけているですよね。

2/8 栃木(佐野厄除け大師)、2/9 千葉(佐原)

2/17 神奈川(川崎大師)

2/23 石川(金沢)、福井(丸岡城)

4/7 静岡(掛川城)

6/13 静岡(富士山)

7/9 千葉(満願寺)

7/31 名古屋(名古屋市)

9/22 千葉県(鋸山)

また、今年は本厄ということで、結果的に寺社と山はキーワードでしたね。あとお城はもちろん。ちなみに厄除けは効果が相当合ったと思います。

本当のところ今は鉄道関連のSEIHAのためにものすごく列車の旅に出たいです。実際すでに鉄道関係についても人に会うなどすこしずつ着手しているのですが、結局のところ国内旅行の決め手はクルマかバスか鉄道なわけで、ランドマークを点と路線を線という具合に押さえるためには、その線の結節点としてサービスエリアと同様に駅は絶対に欠かせないと考えています。

さて古いエントリーを読み返すと旅に出る度にいろいろと考えてますね。こうやって出かける度に何か書き残しておくことは後々活きてきますね。2月に石川に行ったときに、そうか高級旅館のようなサービスをイメージすればいいんだという発見は、最近になって社内のデザイナーの「デザインというのは、職人仕事というよりは“客商売”だなと、さいきんしみじみと実感しています。」という発言、認識となって広まってきていて、なんか伝わってるなぁと、やっぱり行った価値があったなと実感しています。

話を戻します。で、今回は最近あまり走っていない中央道にすることにしましたが、もう一つ理由があって、調布ICのすぐ点前にファミリーマートがあるんですけど、なんというか恐らくこれから高速に乗ってでかけるであろう人たちがたくさんいる出発ターミナル的なコンビニなんだと思うんですよね。そこの店内の雰囲気と雑誌の棚も見てみようと思いでかけました。

やっぱりドライブ関係は品揃えが多かったですね。日帰りドライブムックとあとお城のムックがあったんで買ってみました。攻城団の企画を立ち上げた直後には、こういうムックを作ろうという話をしていたのですが、やっぱり同じようなことを考える人はたくさんいますね。でも中をぱらぱら読んでほくそ笑んでしまいました。こうじゃないんだよな(ニヤリ)って感じです。いやすごく丁寧に作ってあります。これ作るの大変だったろうなぁと。で500円。ムック制作にはもう限界があるんだと思います。

だから電子出版とかiPhoneアプリという流れもわかります。でも、まだムックで同じ500円でも、もっと違う継続的な展開ができるだろう、制作コストを格段に引き下げることができるだろう、といま攻城団を作りながらひしひしと実感しています。実はサービスエリアについてはすでに出版企画も決まっていたんですよね。でも攻城団が遅れているので、先日版元にいって一旦計画を白紙にしていただきました(でもキッチリ復活させますよ)。

どこかが出すだろうとは思ったんだよね

さて、肝心の行き先ですが、買った日帰りドライブムックをみると八ヶ岳が近くて雄大な感じの雰囲気です。もしかするとギリギリ紅葉が間に合うか。ということで掲載されていたスポットを目指して発車しました。

まきば公園
まきば公園
まきば公園
富士山が見えました
八ヶ岳高原道路を小渕沢から清里に抜ける途中の橋です。
どこかわからないけど途中の牧場
長坂ICに近いところの橋の袂に駐車場があります

途中のサービスエリアもきちんと立ち寄って、そこにあるパンフレットなども確認しながら行き当たりばったりのドライブでしたが、行きはかなりスムーズにまったく渋滞もなく高速料金も小渕沢まで1000円で行けました。本当は八ヶ岳の周囲を回るべき何でしょうけど、それだと完全に日が暮れるので南側を清里のほうに抜けました。

山道は溝に填りそうで怖いですよね。うわぁ吸い込まれそうだなと思ったら、途中高級車のおじさんが盛大に溝にはまってて往生してました。見事に左45度に傾いていたので、ついつい写真撮ったけどこれは載せられないね。レッカーのクレーンにつり上げられる様子を見ているおじさんの背中がほんとうに寂しそうで。気をつけましょう。

写真もiPhoneだけどしっかり取れたし、ツイッターもつぶやけたし行きは結構スムーズだったのですが、やっぱり高速1000円効果なんでしょうかね。帰りは大変だろうなぁと思って4時前には岐路についたんですが甘かったです。談合坂から調布までほぼ渋滞。加えてこの日は事故続発で電光掲示板も高井戸まで4時間以上という絶望的な数字。実際帰り着いたら8時過ぎてました。

ドライブは気軽に出発できるけどこの帰りをなんとかできたらなぁ。もっと早く出かけて早く帰れってことなんですかね。やっぱり電車かなぁと思いつつも、せっかくドライブムック買ったことだし今度の祝日もこの日帰りコースで行き先を探してみることにしました。

(つづく)

11月26日がくる。

SEIHAプロジェクト公式ブログに書きました。

間もなく11月26日がやってきます。 | SEIHAプロジェクト公式ブログ

社長の香月です。

昨年の11月26日。ちょうど当社のデザイン部門の社員をつれてデジハリさんに企画していただいたウェブデザインの研修を渋谷の教室でやっている最中でした。

「アイデアです。」というタイトルで河野さんから1通のメールをいただきました。

それがこのSEIHAプロジェクト「攻城団」のスタートでした。河野さんからメールをいただいた直後に、そのアイデアを当社で実現させますと約束し、すぐさまメールのやりとりで、大西・玉造のチームを結成することまでその日のうちに決めてしまいました。いま読み返してみましたが、本当に昨日のことのようです。

1年は本当に早い。そして、まだそれを実現できていないことを本当に心苦しく思います。

しかし、短いと感じるこの1年。いろいろありました。若き二人に任せていた進捗が完全に行き詰まり、開発が予定通りに進んでいなかったことが突然発覚したり、そのため中国に行って開発会社と直談判したり、直後に徹夜続きで準備して名古屋に行ってジオメディアサミットのプレゼンで盛り上がって大きな可能性を感じたり、度重なるオープンの延期・・・。この他お城巡りに行ったり、社員総出でチェックをしたり、激しく喧嘩したり、はたまた一言も口をきかなかったり・・・。まだここには書けませんが、本当に泣き笑いの耐えない現場でした。

しかし、いよいよここにきて、いま現場は極めて静かに作業を進めています。残りタスクも全部出し切りました。先週今週の進捗が少ないですが、大西はこれを突破すると言っているので今度は大丈夫でしょう。

1年前はウェブデザインがなんたるものかというような研修をやっていた会社が、いまやメディア事業部として企画提案をいくつか依頼いただくところまでやってきました。そして真打ちSEIHAプロジェクトの第1弾リリースも目前です。

私自身はこれまでとは考えを少し改めて、このリリースを淡々と通過していこうと思っています。それというのも、その先に待っているSEIHA事業の可能性の大きさを考えるに、まだまだ準備が足りない部分があることがわかったためです。リリースした後も、いやリリース後のほうがより一層サービス充実のための努力を惜しまない、浮かれないで地に足のついた業務を続けられるようにしたいと考えています。

2009年11月26日。河野さんの1通のメールに即答してまもなく1年。私自身の中でもこれは今後重要なマイルストーンになるだろうと思っています。いや、なるようにするためにも具体的な発表を近いうちに行いたいと考えています。

会社としてだけでなく、個人的にもこの1年は本当に苦しい1年でした。苦しい1年だったけれども、新しく会った人の数(単に名刺交換したとかではなく)もこれまでの記録を大幅に更新しました。また、出版業界じゃない人のほうが多かったです。2009年11月26日。今後振り返ったらああここがターニングポイントだなといえる日になりそうです。

攻城団。もう間もなくです。

SEIHAプロジェクトに集中します。

これまで沈黙を守っていたSEIHAプロジェクトのブログに投稿しました。

プロジェクト最後の立て直しを行います。| SEIHAプロジェクト公式サイト

リストラを敢行し始めてデジカルの来年以降の展開を少しずつ開示しながら、社長として自分の発する言葉の重みを痛感しています。だから下手なことが言えず腰が引けるということでなく、もっと上手に伝えられるようになりたいなと、今朝は朝礼もあったのでそう感じているところです。

その上で、SEIHA公式ブログで「最後」と表現したからには本当にほんとうの最後で、この次の立て直しはありません。これは絶対に立て直すという決意の表明です。

本当は、このプロジェクトはチームメンバーの二人に元気溌剌として駒を進めてもらうつもりでした。残念ながら荷が重すぎて、次第に遅れるようになり、そのうち疲労も蓄積し、叱咤激励も空しく響く状態となり、先週ついに破綻しました。

それでも私は粉々に砕け散ったプロジェクトの部品(彼らの心とでもいいましょうか)を一つひとつ黙々と拾い集めては接着し、本来仕上げるべき形(それはチームとしても)に作り上げています。先週はずっとその部品拾いと接着作業に没頭していました。

そんな無駄なことをせず今すぐ優秀な人材を使えばすぐにできることをと思うかもしれません。その通りです教科書的には。しかし、いま目前にいるメンバーでやるしかありません。今あるリソースでやるしかありません。また、こういう状態においてこそ関わってくれた人を仲間と言わずなんというのでしょうか。

もちろん浪花節だけで通用するほど甘く無いことも知っています。また、言葉を重ねることにも意味はありません。私がやります。そして彼らにやらせます。もうそれだけです。

この他言いたいことはもちろん山のようにありますが、今は愚直に進めます。