茶道のお稽古は暫くお休み

師匠にお願いしてまたまたお休みを頂いて、暫く仕事に邁進することにしました。

ご存じの通り茶名取るまではと果敢に攻めてやってきましたが、別に最短10年で茶名を頂いたからと、単なる自己満足でしかなく意味のないことでした。何より先立つものがいろいろと必要なので、次なる余裕を作るまで仕事に邁進です。

そんな思いに至ったのも、日曜の朝にやっているテレビの散策番組に、クルマを改造して移動茶室を作った方が出ていて、たまたま見知った方だったので興味深く観ていたのですが、そうだよなぁ、まずは「場」がないことには、いつまで経ってもお稽古のためのお稽古だなぁと思った次第です。

お点前に、何かの記念でお道具を頂いたりしたとき、その道具を披露するためのものがあるのですが、「茶室建立の折、頂戴した品でございます」なんてセリフを実際に言えるようにしたいなと、自分で道具を買い揃える以前に、やはり茶室の準備が先だよなと思いました。

まずはそう遠くない将来に社長室兼茶室。そのためにも社員から「まったく社長の道楽にはしょうがないなぁ」と笑って済ませてもらえるように、莫大に儲かる事業を仕立てたいと思います。

許状をいただきました。

許状を頂きました。

2010 年 6 月 8 日 許状をいただきました。
2009 年 4 月 23 日 許状をいただきました

-修道課程(許状種目)と取得できる資格-

今回は奥義の許状。かなり大きくて40cmぐらい。鞄に入らないので手でもって帰ってきました。
奥義の許状はかなり大きくて40cmぐらい。鞄に入らないので手に持って帰ってきました。

前回の上級から2年半、途中3.11後の会社のゴタゴタで半年お休みして、それからお稽古のペースもダウンして、それなりに資金も必要ですので今回の許状申請自体も逡巡していたのですが、こうやって頂けるとやはり励みになります。

次はいよいよ目指していた「茶名」ですが、あと2,3年は熱心なお稽古が必要です。となるとやっぱり10年はかかるわけですね。先生も体調がよろしかったこともあり、今日はいつもよりさらに細かいところまで厳しく指導していただけた気がします。

今年になって青年部の役員になり、さっそく新年から大行事でしたが、お陰で普通に生活していたら見られない世界を垣間見せてもらえるようになりました。と同時に日本の文化的、社会的な層の厚さを実感しています。

昨年後半は引き継ぎ準備が大変で、まだまだこれから行事が本番で大変ですが、やると決めたら楽しく一生懸命に、の精神で引き続き精進したいと思います。

「おいあくま」の真意

 怒らない
 威張らない
 焦らない
 腐るな
 負けるな

昨日、会食の席でご一緒したお茶の先生は、65年もやっておられる先生でした。一見して60前後かなぁと思っていたら70をとっくに過ぎていて母親よりも年上でビックリでした。

65年もやっているということは、戦後間もないころからずっと続けておられるということで、終戦直後の混乱期にお稽古をどうやって続けていたのか、今の若い世代に何が欠けているのか、その一言一言が胸に刺さりました。

その席で、先代お家元の千玄室大宗匠の挨拶を聞く機会を得たのですが、大宗匠が90歳でカクシャクとされ世界中を飛び回っている様子をみるに、高齢化日本のマイナス面ばかりが強調される昨今、焦点を合わせるべきところに戻せば、本当に大事にすべきことが何かに気づかされます。

「それにしても、どうして先生そんなに若々しくていらっしゃるのですか?」と尋ねると、わざわざ手帳を開いて冒頭の言葉を教えてくださいました。この「おいあくま」は聞いたことがありました。しかし、その真意まではわかっていませんでした。

先生は「私にはいろいろとやりたいことがたくさんあって、この先時間があまり残っていないから、いちいち怒っている時間がもったいないので、いつも平常心でいることを心がけている」そのためにいつも”おいあくま”の気持ちを忘れずにいると仰っていました。

とにかく平常心。毎日平常心。確かに先生の話をお聞きしているだけなのに、私の方が穏やかな気持ちになるのがわかりました。また裏返して、いかに自分の腰が高く浮ついているのか、その落差を実感しました。

「怒らない」「威張らない」は決意して相当減ったと思います。家でも暴君の称号は返上しつつあります(まだか)。「焦らない」は今年からの課題。「腐るな」はTwitterに愚痴書かなくなってかなり減ったかな。

あとは「負けるな」 。

新しいことをスタートしました。これを「勝ちに行く」と勘違いしないようにしなければと考えています。平常心で。

【メモ】炉開き

今日は朝から炉開きに出席しました。

開炉は茶人の正月です。茶道は元々中国から入ってきたときには風炉で行うものだったところを、400年前の利休の時代に炉(囲炉裏)を使ったものを主流に変わりました。なのでこのときのお道具(焼物)は「三部(さんべ)」といって、織部、伊部(いんべ)、ふくべの和物を取りそろえます。

炉を開くと同時に5月に摘んでおいた新茶を茶壺から取り出すセレモニーがあります。茶壺の口切りと拝見をして、炭点前、そして菓子として粟ぜんざい、栗、柿の三種がでてきます。粟なんて普段食べることはありませんが餅のような感じになっていてぜんざいの甘さとほどよくマッチしていて美味しいです。主菓子の原型です。普段お菓子は黒文字で食べるのですが、それだけではぜんざいは食べられないので杉箸が一本添えられます。

そして先生が濃茶を点てるのですが、この茶壺と先生のお点前を拝見できるのは年に1度この炉開きのときだけです。

茶壺といえば、ずいずいずっころばしの歌に「茶壺に追われてどっぴんしゃん、抜けたらどんどこしょ」とありますが、あれは江戸時代の茶壺道中(京から幕府に献上される茶壺が通る道中)のことを歌ったもので、江戸初期の茶壺道中は大名行列並の厳重さで「茶壺がきたらどっぴんしゃんと扉を閉じなさい、通り抜けたらドンドコショと騒ぎなさい」と子供に教える内容です。それぐらい当時は政治力があったわけですね。

以上、習ったことを忘れないようにとメモ代わりに書いていますが(まだまだ一杯ありますが)、唯一お伝えできないのは香りですね。炭点前で焚かれる香と、濃茶を練ったときの香りはどうやってもお伝えできません。香が焚かれ濃茶が練られているころが一番静まりかえっている状態ですが、このときばかりはなんとなく駆けだしの弟子でも和敬清寂の意味がわかるような気がします。

ところで最近は裏千家の組織を垣間見る機会が多少あるのですが、そこでは日本文化の奥深さを知るというよりは、戦国時代の茶人が数百年の時を経て今なお影響力をもっていることにまざまざと感じさせられます。豊臣家は滅び去ってしまったわけですが、切腹させられた千家は圧倒的な存在感をもって未だに隆盛です。

もちろんその裏千家もずっと安泰だったわけでなく、明治に存亡の危機を迎えながら方針の大転換を計っていまに至っています。だからいま女性だらけになっているのですが、それも結局、時代を先取りしていたと言える訳なので、ますますこの組織が興味深くなっています。

元来社交を得意としていないのに、女性ばかりのところで本当のところ気の休まるどころの話ではないのですが、なぜ辞めずに続けているのかといえば、女性を活かす組織を作ることがこの先の企業経営、とくに当社のような形態の会社では必須だと考えているためです。

余談ですが、最近この裏千家の青年部に行ったり、仕事でご一緒する同年配のできる女性をみていて、将来この世代から国を救うような女性宰相が出てくるんじゃないかなぁと思っています。

ついでに文化的素養や所作などが身につけば一石二鳥とは思っていますが、それよりは経営者として茶道具を買い集められるぐらいの資産家になることを目指すべきだろうと考えてます。それぐらい業績がよく、儲かるようであれば社員も自ずと裕福になるだろうと思いますので。

ちなみに実業家茶人としては小林一三に注目してます。辺境地を都会に転換させた構想力と実行力。電子書籍の屯田兵はこのところ学ぶところ大です。

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【メモ】同じことは2度しないのよ

昨日のお軸は「喫茶去」でした。仕事は激務が続いておりますが、お稽古はまさに一服の清涼剤となっています。

前回に引き続き、茶通箱(さつうばこ)のお稽古で、これは一点前で二種のお茶を濃茶で2回点てる長いお点前です。テキストがないのでノートを作って覚えているのですが、2回連続のお稽古でようやくつかめてきました。

茶道の所作、要するに仕事における作業フローは数百年の積み重ねがあるので、当たり前のことですが大変良くできています。基本的にお茶を点てる所作は、一番最初に習う薄茶の平点前と濃茶も流れは同じ、それに道具や目的が変わることで、オプションがどんどん加わる重層的な構造になっています。さらに今回は、それを2つ組み合わせというわけです。

「同じ事を2回しないのよ」という先生からの指導は、濃茶を点てる所作は同じでも、正客から茶名や詰を尋ねられたときに応対する所作は、最初と2回目では同じではないですよ、正面が変わりますよ、ということでした。

なぜこの所作なのか?実はそれを学び考えるのが茶道の勉強です。この哲学的なところが、大変でも続けていけている理由かもしれません。

今新しいビジネスフローを整えていて、オペレーション部分を構築しているところなのですが、この「同じ事を2回しないのよ」という教えは、なかなか深く突き刺さりました。茶道の所作は優雅に見えるように考案されています。それは必要なこと、必然的なことで構成されていて「無駄」がないということです。

電子書籍はツールの目新しさを強調されますが、私自身は、これは出版の原点回帰で読まれる本を作るという目的は同じだと思っています。しかし、その制作工程は従来の本作りと同じである必要はないと考えます。そして、この電子書籍のビジネスフローも、まずは工程の大胆なカットから始めていて、今日は定例ミーティングでしたが、その点を追求することで合意できました。

明日は、参謀団との定例MTG。なぜその工程なのか。よくよく考えて、いらないものは削除し、また大胆に組み替えて、これから宿題の資料のオペレーション計画表を作ります。

美しく大胆に、そして組み合わせを考え、どんどん切り捨てています。

茶名が見えて参りました

稽古場にいくと師匠から、次の許状申請ができますよと言われました。

2010 年 6 月 8 日 許状をいただきました。
2009 年 4 月 23 日 許状をいただきました

-修道課程(許状種目)と取得できる資格-

前回「引次」を取得してから2年近く経っているので年月的には問題ないようです。

ただ、昨年は数ヶ月お休みを頂きましたので、まだ難しい手前を1回しかやっておらず、もう少し稽古した方が良いかなぁと思うのと、謝礼も決してお安くはないのでちょっと迷いました。

まだ迷っていますが、先生に申請のお許しも頂いているし、なにより家元から許状をいただかないと先に進めません。特にこの次の「茶名」の申請までは、また時間がかかるようなので、今回申請しておきたいところです(今回の「正引次」を取得して2年稽古が必要です)。

茶名は利休居士以来の歴代家元の「宗」の一字を頂くものです 修道を通じて資質を備えられた方に授与されます。

この4月で入門6年目。10年で茶名を頂きたいと思っていたので、今回申請してギリギリなんとかというところです。スピード取得を目指しているわけではないですが、茶人と自称するならやっぱり茶名は頂きたいですし、誰かに教えていきたいとも思っています。

それにしてもいつの間にか苦もなく正座もできるようになり、小習程度のお点前はサクサクできるようになってきました。何事も積み重ねは大事ですね。登ってきた道を振り返るとそれなりに自信も付きます。

また、そうなってくると稽古場で一服頂くだけで気持ちも落ち着きますし、お稽古に出かけるだけで教養を身につけるきっかけにもなれば(日本文化について知らないことばかり)、お点前で集中したあとの清々しさは、自分なりに心の掃除時間になっています。

もはや仕事に活かすというよりは、実生活を豊かにできるものになりました。ということで、なんとか謝礼を都合つけて申請したいと思います。

来年の「初釜」も

毎年初釜について書いてますが、間違いなく年初は忙しくてたぶん更新できないだろうということで前もって書いておきます。

今年は、お稽古を長々お休みしたので、ないだろうと思っていたら、またまたまた予想に反して半東を仰せつかりました。ははー。

2009年 1月13日 「初釜」

2010年 1月11日 「初釜」

2011年 1月12日 「初釜」

で、先生が「去年のお棗なんだったかしら?」

とお尋ね遊ばされたので、

「お任せください(ニヤリ)。去年のアレがあります」

と、お道具を記録していたのが役立ちました。すばらしいですねEvernote。

それにしても諸先輩を差し置いて大役を仰せつかっているのも、男性のほうがウケがいいからなんですよね。社中で男性は二人しかいません。曜日が違うので、稽古場にいっても本当に女性ばっかり。

あ、仕事始めに社員にお茶を点ててあげようかな、その日は入稿だから難しいかな。

でもそういう余裕は大事にすべきかな。

8月末に向けて個人的にも大プロジェクトが進行中

8月末、先生にお茶事を開いて頂けることになりました。これまで大寄せ茶会といって、大勢の方が一堂に会する茶会には参加したことがあるのですがお茶事は初めてです。茶事というのは細切れで学んでいることを時系列に、そして体系的に体験することができる貴重な機会で、いつかはと思っていたので大変ありがたい機会です。

年初からこのお茶事の話があって、最初は高級料亭で開催という話しで、ひとまず予算は度外視して参加を決め楽しみにしていたのですが、時節柄皆さん財布の紐も固めで参加者が集まらずということで、稽古場での開催とになりました。

それで皆さんそれぞれ役回りを持った上で、稽古の一環として参加することになったのですが、初めての茶事、次客ぐらいでのんびり見学しながら楽しませて頂こうぐらいに考えていたら、「香月さん、あなた30日の茶事は亭主をやっていただきますから。亭主ってご存じ?」「よく存じ上げておりますがっ。え、あ、えぇ?!」的な具合に大役を頂戴することとなりました。

覚え目出度く立派な役を仰せつかったからには頑張らないとと思っていた矢先、先週は出張で肝心のお稽古をお休みしたものだから、今週はさっそく「かわいがり(ってシゴキです)」がありました。初炭点前を連続2回に続き薄茶を1回。自分でいうのもアレですが、割とこういったシステマティックな動作を覚えるのは得意なので、汗だくになりながらも(炭点前ってほんとに暑い)なんとか第一関門クリアしました。

でも、これから毛筆で招待状である手紙をしたためたり、着物の準備をしたり、点前の練習以外にもいろいろと大変な感じです。

通常業務に加えて、SEIHAサービスの第一弾、攻城団のオープンやライブレクチャーセミナーなど、会社としても重要なイベントが控えています。

どちらのイベントも私個人として初めての試みで、残念ながら直近の収益に大きく貢献しないという点が共通していますが、新しくて多くの人にとって今すぐには真価の見えないが故、将来的に大きな儲けに繋がる仕事だと考えて取り組んでいます。そういった意味では、お茶も、遙か先の将来を見据えての精進なので、同じかもしれません。

もう完全に夏期休暇はゼロになりました。子供たちは完全母子家庭状態で、上の子供たちは「お父さんは好き勝手にやってるよね」など言っているようですが、良きパパには絶対なれないので、「ああ、そうさ、いいだろう」と、そういう父親ってのもありだと思って日々過ごしております。

2010年8月、いろいろな意味で個人的にターニングポイントです。

許状をいただきました。

と、去年ブログに書いてもう1年たったんですね。

許状をいただきました

今度は上級の資格、引次の許状までいただきました。この6月から4年目です。

やはり何事も積み上げですね。いつの間にか、お点前で足はしびれなくなりましたし(花月で全然当たらなかったらさすがに厳しいですが)、所作にも細々としたところまで目が行き届くようになってきました。それでも今回いただいた口伝の行之行台子などは、頭にたたき込むだけで必死です。

ひとまず茶名をいただくまではと思って頑張ってますが、まだまだ先は長いです。

修道のご案内 −修道課程(許状種目)と取得できる資格−

ささやかにブームらしいですが、それでも男性人口があまりにも少ないのが残念ですね。

「春色無高下」

今日は靖国神社で野点のお手伝いでした。心配した雨こそ降りませんでしたがかなり寒かったですね。

春秋棚での立礼です。

例によって運転手兼雑務係で早朝からお迎えなわけですが、車中でまたまた当日になって大役を拝命することになりました。今回は半東です。亭主がお茶を点てる間に、客にご挨拶と道具の説明をし、運びをするお役目。道具の説明というのは、

軸:「春色無高下」鵬雲斎大宗匠
茶碗:渋草焼 / 久宝 波の絵
棗:大堰川棗 司峯 / 春秋棗 宗哲
茶杓:真精院「若草」
水差:真葛香斎 鼓堂型
建水:チベット
蓋置:金井紫晴 ちょうちょ
釜:車軸釜
数茶碗:黒石釜 三島写

と、こんな感じのものを覚えて、 お客様にご説明するわけです。まぁ最初は覚えきれなくて、ちょっとごにょごにょとごまかしてしまいましたが・・・。それにしても一般客がたくさんの野点なのに、先生も結構立派なお道具を持ってこられてました。値段聞いたらちょっとびびりますよ。

亭主の左側に座っている男性が半東です。

で傘の下に短冊を飾ってあるのですが、こちらは先代のお家元鵬雲斎大宗匠の筆によるもので「春色無高下(しゅんしょくごこうげなし)」と書いてあります。これは春の色には高いも低いも無い、つまり春は誰にも平等に訪れるもの、という意味でございます。なあんて、説明するわけですね。

それにしてもいつの間にか春ですね。今年もあっという間に4月です。

今週はお花見しないと。